「娘を返して」「夫は誇り」 京アニ公判で遺族らが語ったこと

2019年の京都アニメーション放火殺人事件では36人もの命が奪われた。殺人などの罪に問われている青葉真司被告(45)の公判では、犠牲者の遺族や負傷者が現在の心境を自らの言葉で訴えた。その一部を紹介したい。
宇田淳一さん(当時34歳)の妻
作業する時、頭にタオルを巻いてトレース台に向かっている夫がかっこよかった。夫が作った作品を映画館で一緒に見てエンドロールに名前が出ていると、家族のために頑張ってくれている夫が本当に誇らしかった。事件当時1歳4カ月だった娘には「殺された」とは言っていない。「優しい家族思いのお父さんだった」と伝えている。被告は逃げて生き延び、放火という手段を選んだのは本当にひきょうだ。
寺脇(池田)晶子さん(当時44歳)の夫
この事件で最も苦しんだのは亡くなられた方、負傷された方だと思うが、私は一番頑張ってきたのは遺族になった子供たちではないかと感じている。息子はこれからずっと母親を殺された悲しさ、さみしさに耐えていかないとならない。私たちがあなた(被告)を許すことができると思いますか。心の底から自分の意思で手を合わせて、本気で反省してほしい。
栗木亜美さん(当時30歳)の母親
絵が好きだった娘は本当に自慢だった。娘を返してと叫びたい。公判に参加して被告に対する憎しみや恨みは深くなってきた。生涯消えることはない。36人が未来を奪われ、人生を変えられたのは事実。被告に反省を求めるのは困難と分かった。被害者が味わった恐怖や絶望を味わってほしい。極刑を望みます。
兼尾結実さん(当時22歳)の母親
年の離れた弟2人を一緒に育ててくれた戦友のような存在だった。遺体と対面して「熱かったね、頑張ったね」と擦りをして、大好きだった「Free!」(京アニ作品)のタオルを掛けてあげた。幼い時に聞かせていた我が家の子守歌も歌った。一生懸命、仕事をしていただけなのに、なぜこんな目に遭わないとならないのか。ガソリンをまかれ、どんなに怖かったか。同僚や職場が炎に包まれていく場面を目にしたと考えると、その苦痛を全部取り払ってあげたい。絶対に許せません。
笠間結花さん(当時22歳)の母親
京アニに内定したと勢いよく帰ってきた時は抱き合って泣いて喜んだ。入社して夢のような毎日だったと思う。小説ごときで娘は殺されたのか。私たちは殺された事実に一生苦しむ。結花へ。今、天国かな? 会いたくて、会いたくて。結花の映画を一緒に見に行くことが夢だった。思い出と共に生きていく。本当に生まれてきてくれてありがとう。
32歳だった男性社員を亡くした母親
裁判で話すのはずいぶん悩んだが、自分の口からでないと無念、悲しみは伝わらないと思った。事件後に息子と対面した時、痛ましく、胸が張り裂けそうだった。息子はアニメに憧れ、京アニに入り、悪戦苦闘していた。その人生を知ってほしい。一度でもそこ(京アニ)で働く人の人生を考えてみなかったのですか? 夢半ばで命を奪われた息子の無念、残された家族のことを考え、苦しみ抜いてほしい。
24歳だった女性社員を亡くした父親
娘の遺品の中に未来の自分への手紙がありました。「私の夢は絵を描く仕事に就くことです。うまくなって夢をかなえましたか」。夢の仕事に就いてわずか1年3カ月。事件時に握りしめていた携帯の時間は午前10時34分を指して止まっています。娘は屋上に向かう階段で同僚とともに亡くなり、遠のく意識の中、「なぜ今ここで」と悔しい思いだったと思う。被告を許すことはできません。
やけどを負った30代男性社員
誰もあなた(被告)の小説を読んでいません。盗作されたというのは思い込みです。そのようなことをする会社ではないと断言できる。勝手な思い込みで36人を殺害した。それを心に刻んでください。友だちが炎に包まれていった瞬間が目に焼き付いて離れない。悲しみ、苦しみを抱えたまま前を向いていく。フィクションを作る者として希望を語ることはやめない。あなたはまだ生きている。その意味を考えてください。
上半身に大やけどを負った20代女性社員
作画が楽しかったのに、私の両手は赤黒い肉の塊に変えられた。鉛筆さえ握れず絶望した。3年間のリハビリは壮絶だった。やけどの痕がある限り、一生、生き地獄だ。元の部署で作画の仕事をしており、愛される作品を作り続けることが被告への復讐(ふくしゅう)だと思っている。あの時、一人でも手を握って助けることができていれば。被告には死をもって償ってほしい。

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