「半袖シャツ1枚で冷凍庫に入れられるようなもの」ボイラーが壊れて南方系の生き物は数日で全滅…40種5000匹の命が失われたのとじま水族館の悲しみ

〈 200人の観光客が島内にある水族館に取り残され…新聞・テレビが報じなかった能登半島地震“恐怖の一夜” 〉から続く
石川県七尾市の能登島にある「のとじま水族館」。能登半島地震で被災して、長期休館を強いられた。設備の損傷だけではなく、飼育していた生物が大量死してしまったからだ。南方系の生き物は被災から間もなく全滅した。人気者だったジンベエザメ2匹も死んでしまう。水族館をかつてない「喪失」が襲う。
発災翌日の2024年1月2日、能登島大橋が通れるようになると、孤立した島内に取り残されていた来館者は次々と脱出していった。
頻発する余震でなかなか水族館の館内に入れず
前日から夜通し対策に当たっていた職員も、この夜は自宅へ帰った。
能登半島地震の被害が酷かったのは奥能登(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)だ。半島の中ほどにある七尾市でも大きな被害があった。石川県のまとめによると、同市内では1万4680棟の住家が損壊し、うち385棟は全壊だった(2024年6月11日時点)。
「水族館では、まず休んでいた職員の安否確認から始めました。家族を含めて犠牲者はなかったのですが、自宅が損壊して避難所に身を寄せた職員はいました。出勤できない職員もいて、当初は飼育のリーダー的な職員や、設備に詳しい職員らを中心にして地震対応を進めました」と高橋勲・企画係長(50)は説明する。
水族館の館内にはなかなか入れなかった。ひんぱんに余震があり、人間がケガをする恐れがあったからだ。まず、外から建物や配管の状況などを確認した。
多くの箇所で配管が損傷 事務室の床はびちゃびちゃ
1982年に開館した本館は築後40年以上が経過していたが、表面の塗装がはげ落ちた程度で大きな損傷はなかった。17年前の2007年に起きた前回の能登半島地震で補強していたのが功を奏したのかもしれない。
屋内に入れたのは余震の回数が少し減った3~4日後だったという。
入口付近から確認作業を進め、退避径路を確保したうえで徐々に奧へ入った。
水浸しになった場所もあった。水族館は配管が多い。損傷して多くの箇所で漏れていたのである。
高橋係長が執務していた事務室も、どこからか水が流れて来て床がびちゃびちゃになっていた。
南方系の生き物は数日のうちに全滅
生物の安否確認が終わるまでには1週間ほどかかった。
惨状が次第に明らかになっていく。
被害が大きかったのは「南の海の魚たち」「マングローブの水辺」のコーナーだ。
南方系の生き物は数日のうちに全滅した。
「通常は23~24度の水温にしてあります。冬の能登の海は水温が10度前後です。水槽には海水を取り入れていたのでボイラーで温めていました。ところが、そうした設備が壊れてしまい、おそらく水槽の中も10度ぐらいにまで落ちたと見られます。熱帯に棲む生き物は生存できません。人間にたとえれば、半袖シャツ1枚で冷凍庫に入れられるようなものでした」と高橋係長は悲しげだ。
生き物が被災時にも生きられる対策は…
これらのコーナーには人気の魚が多かった。
全身が薄い青緑色のデバスズメダイは美しさで来館者を魅了した。
チンアナゴは半身を砂にもぐらせたまま、頭胸部を外に出す。「にょきっと出たり引っ込んだりするのが面白く、子供達に人気がありました」(高橋係長)
ウツボは見た目のインパクトがある。「ああした風貌だから、怖がる人もいるのですけれど、多くの人が興味深く観察していました。いつもは力強く上を向いているのに、だらんとなって死んでいました」(同)
トビハゼは泥地をピタピタと歩く。「周りをよく見るためか、目が両サイドに飛び出しています。顔つきがかわいいだけでなく、カエルのようにジャンプすることもありました」(同)
こうした生き物が被災時にも生きられるような対策は取れないのか。
高橋係長は「極めて難しいですね」とうなる。日頃から投げ込み式のヒーターを備えているが、大きな水槽を温めるには能力が足りない。小さな水槽に移すにしても、ウツボと小さな魚は一緒に入れられない。「言葉にしてしまえば軽くなってしまいますが、やはり想定外の被害だったのかと思います。そもそも職員の安全を確保しながら館内に入ったので、水槽に近寄れるまでに時間が掛かりました」と話す。
水族館のスターだったジンベエザメの死
今回は冬の災害だったから、南方系の生物が全滅したが、夏の発災なら北方系や深海の生物が全滅してしまう。
高橋係長は「北の海に生息するホッケやカサゴの仲間は、年間を通して10度前後にしなければなりません。深海に棲むカニ、エビ、イソギンチャクは2~4度です。夏に機械が壊れれば1~2日で死んでしまうでしょう」と指摘する。
動物園の生き物なら環境の変化になんとか耐えられても、飼育環境が生死に直結する水生生物はそうはいかない。水族館が被災した時のもろさが浮き彫りになった。
魚類の生死で最も話題になったのはジンベエザメだ。イルカと並ぶのとじま水族館のスターだった。
定置網に迷い込んだジンベエザメを捕獲し、飼育していた
自然界のジンベエザメは体長が12~13mにもなる世界最大の魚類だ。巨大な水槽を悠々と泳ぐ姿には迫力があり、見ていて癒されるという来館者も多かった。「人間はああした形と色あいを本能的に好きになってしまうのかもしれません」と高橋係長は話す。
全国では、沖縄美(ちゅ)ら海水族館(沖縄県本部町)、いおワールドかごしま水族館(鹿児島市)、海遊館(大阪市)と、のとじま水族館の計4館でしか飼育されていない。東京など遠方から繰り返し訪れる人や、4館全部回るという「ジンベエファン」もいた。
のとじま水族館で飼育が始まったのは2010年だ。対角が約20mある八角形の「ジンベエザメ館 青の世界」(深さ6.5m)が完成し、ちょうど能登半島沖の定置網にジンベエザメが迷い込んだのを捕獲した。
ジンベエザメの生息域は熱帯から亜熱帯にかけてが中心だ。「能登半島沖には暖流の対馬海流に乗って訪れ、7~10月に漁師さんから『定置網に迷い込んだ』と連絡が入ることもあります」と高橋係長は話す。
水槽の幅が35mもある沖縄美ら海水族館では繁殖を目的とした飼育ができるが、のとじま水族館の水槽では無理だ。そこで、体長4m程度で捕獲された個体を2~3年育て、6mになる前に海に戻してきた。適当な大きさの個体が定置網に入れば、入れ替えをする。
地震発生時に飼育されていたハチベエとハク
歴代飼育したジンベエザメには名前が付けられていて、定置網がある場所にちなむなどした候補から投票で決めてきた。サザベエ(七尾市佐々波町沖で捕獲)、モモベエ(志賀町百浦沖で捕獲)、オトベエ(七尾市大泊沖で捕獲)、イオリ(七尾市庵(いおり)町沖で捕獲)、トトベエ(10月10日に定置網に迷い込む)、スズベエ(珠洲市沖で捕獲)、ナナベエ(のとじま水族館で7番目の個体)だ。
能登半島地震の発生時に飼育されていたのは8番目と9番目の個体で、ハチベエ(オス)とハク(メス)だった。
ハチベエは2022年8月10日、七尾市庵町の沖で定置網に入った。当時の体長は3.9m。元気いっぱいで、ハクの餌まで食べようとする食いしん坊だった。このためハクが食べ終わるのと同時にハチベエも食事が終わるよう飼育員が工夫していた。名前は「8番目」が由来だ。
ハクは同年8月29日、羽咋(はくい)郡志賀町百浦の沖で定置網に迷い込んだ。当時の体長は4.1m。泳ぎ方が起用で、小回りが利く。ハチベエとぶつかりそうになっても、するりとかわした。名前は郡名からつけた。
今年の夏か来年の夏には海に戻る予定だった
2頭のうち、先に弱ったのは食いしん坊のハチベエだった。
南方系の魚だけに、ジンベエ館の水温は25度に保たれていた。ところが、水の濾過装置が壊れたうえ、水漏れも発生した。一時は水位が半分以下になった。体の大きなジンベエザメは生きていけない。
急いで海水を注入したが、前述したように冬の能登の海は10度程度しかない。水温が下がりすぎただけでなく、濾過装置の故障で水が白く濁った。
次第に弱り、1月9日に死んだ。
ハクは追いかけるようにして翌1月10日に命を落とした。
「2頭とも体長が5m近くになっていたので、この夏か来年の夏には海に戻る予定でした。それなのに……」。高橋係長は言葉少なだ。
他にも、多くの生き物が生き延びられず、のとじま水族館では計約40種・約5000匹もの生物が死んでいく。
撮影 葉上太郎
〈 遠隔地避難で死んだイルカ、ヒナがかえったペンギン…生死が交錯する被災水族館で透けて見えた“漁師たちの苦境” 〉へ続く
(葉上 太郎)

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