相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者19人が殺害された事件から7月26日で8年がたった。大阪市北区の街頭で同日夜、「追悼アクション」が開かれ、障害がある当事者、支援者ら約150人が集まった。事件は障害者への強い差別意識に基づく「ヘイトクライム」とされるが、果たして特異な個人による犯罪なのか。アクションでは、誰もが無自覚のまま持つ優生思想への問題提起が相次いだ。【鵜塚健】
最初にスピーチしたのは、大阪を拠点に活動する身体障害者による劇団「態変」の金満里(キムマンリ)代表だ。ポリオによる重度障害があり、7歳から17歳まで障害者施設で育った。「(施設では)私も理不尽な生活を強いられた。相模原事件では、まさしく私も殺されたという自覚を持っている」と語った。
さらに「事件に関して国が何ら声明を出していないのが問題だ。今からでも、差別を許さないとの声明を出すべきだ」と訴えた。
大阪市の「脳性まひ者の生活と健康を考える会」代表、古井正代さん(71)も声を上げた。「私たちは旧優生保護法(1996年廃止)と50年前から闘ってきた。今も障害者施設があること自体が、脳性まひの人があってはならないと否定している」。古井さんは3人の子どもを育て、長く国内外で障害者の権利について発言を続けてきた。「脳性まひは言葉が出にくいし、顔もゆがむ。相模原事件は、こんなもんは生きている価値がないと言って起こされたが、皆さんの心にも優生思想があるはず。一人一人の優生思想を変えていくことが一番だ」
聴覚障害があり、大阪府立堺聴覚支援学校の教員を務める細尾学さん(59)も手話で、優生思想について触れた。「職場でも生徒に対して『発音がいい』や『耳が悪い』などの評価語が使われている。知らない間に、私たちの間にしみついている優生思想と闘いたい」
奈良市の在日コリアン3世の作家、姜信子(カンシンジャ)さん(63)は、相模原事件と関東大震災(1923年)での虐殺を重ね合わせた。相模原事件では、返事ができない障害者を「不要」と判断して殺害したとされるが、「関東大震災でも、うまく日本語で返事ができない人間は殺していいとした。朝鮮人だけでなく中国人、地方出身者、声を発することができない人を殺害した。近代国家の規格に合わない人たちが殺されたのだ」と指摘。「それ以降も命が効率性ではかられ、分断され、使い捨てられる時代が続いてきた。相模原事件は無残な世界の縮図だ」と訴えた。
相模原事件は、今も当事者の心に打撃を与えている。難病による障害があり、神戸市で介護を受けて自立生活をする石地かおるさん(56)は「私にとってこの8年間は、恐怖と緊張、怒りの連続だった」と話す。「事件直後は車いすで街に出るのが怖かった。『厄介な障害者は死ね』というヘイト(憎悪)を感じ、刃物で殺されるかもしれないという恐怖があった。死刑囚を擁護する声があることにも怒りを感じた」と振り返る。
相模原事件は、障害がある人が地域から切り離されている現実を浮き彫りにした。日本では、学校教育の段階で子どもたちが分離されている実態がある。大阪市の元小学校教員、松森俊尚さん(72)は、障害のある子どもたちも一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」の遅れについて問題提起した。
2022年9月、国連の障害者権利委員会は日本政府に、インクルーシブ教育の権利を保障するよう勧告したが、取り組みは十分とは言えない。松森さんは「日本では子どもの数が減る一方、特別支援学校・学級の児童・生徒数が増えている。世界はインクルーシブの方向に進む中、日本の教育は今も分離することを重視する。その背景に優生思想があるのではないか」と疑問を投げかけた。
追悼アクションは毎年、関西地域の多くの市民がかかわり、開催されてきた。奈良市の自営業、内田優さん(45)は2013年ごろ、大阪・鶴橋などで吹き荒れた在日コリアンへのヘイトスピーチへの抗議運動にかかわった経験から、追悼アクションに毎年参加するようになった。「民族や性的指向、障害などを理由とする差別はどれも地続き。差別を受ける当事者の問題にしてはならない。どうしたらマジョリティー(多数派)に届けられるのか、今後も考えたい」