黒沢博さん75歳で死去 実兄は黒沢年雄 「ヒロシ&キーボー」活動3年 2017年「前立腺がん」公表

「3年目の浮気」が1982年に大ヒットを記録した「ヒロシ&キーボー」のボーカル・黒沢博(くろさわ・ひろし)さんが7日、死去していたことが分かった。75歳。実兄で歌手の黒沢年雄(80)が7日、自身のブログ「クロちゃん」を更新して「博が…亡くなった」と報告した。

博さんは2017年に「前立腺がん」を患っていることを公表。転移はなくステージ1であること、手術をせず闘病することを明かしていた。

博さんは1948年10月18日生まれ。4人兄弟の三男で年雄が長男。さまざまな音楽活動を経て、1982年にキーボー(本名・山田喜代子)と「ヒロシ&キーボー」として活動を開始し、同年にシングル曲「3年目の浮気」が大ヒットした。84年に解散後はソロ歌手として活動。「前立腺がん」を公表した翌年には映画にも初主演した。「日本有線大賞 最優秀新人賞」「全日本有線放送大賞 最優秀新人賞」「日本演歌大賞 期待賞」を受賞。

「博が…亡くなった…。」と題して更新された黒沢年雄のブログでは「昨夜…口の聞けない博にいっぱい話しかけました…(中略)数時間いて少し元気になったから大丈夫だろうと、一旦引きあげました…4時間後急変…電話が来て”娘さんが電話の向こうでパパ!パパの叫び声が入って来ました…直ぐに病院に駆けつけると…医師から臨終ですとの言葉…。今は幼い頃の博が頭に蘇って涙がとまりません」と最期の時を報告した。

年雄はブログ内で博さんと日々を回想。「振り返ってみると想像を絶する波瀾万死の毎日でした…僕は高校を辞め弟達の為に必死に働きました…。不純ですが…動機はスターになって金持ちになりたかった…それが現実となり弟達の就職先も決まっていきました。東宝映画の専属になり…加山雄三さんの”エレキの若大将”に出演…ゲストに出演した寺内タカシさんと知り合い、エレキでアマチュアバントをやっていた博を入れて頂いたのです…その後バニーズというグループで世に出たのです…時が経ち、博は低迷期…。僕はその時期”やすらぎ”時には娼婦のように”と立て続けに大ヒットの絶頂期…仕事が次々舞い込んできます…。ある時…仲間の作詞作曲家の佐々木勉さんから…僕が結婚して三年目の頃…佐々木さんから…黒ちゃんにピッタリの曲が出来たから歌ってくれるとの要望…それが”三年目の浮気…聴いて直ぐに気に入らないので断りました。暫くして…弟の博が歌ってるではないですか!!それからは皆さんがご存知の大ヒット!それからの博の活躍…とても嬉しかった…しかしそんな状態がいつまでも続くわけがありません…その後は大変だったと思います…」としみじみと振り返っていた。

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