日本の政財界までが注目する宗教家の「相続」に動きがあった。創価学会名誉会長だった故・池田大作氏が所有していた自宅の名義が変更されたのだ。次の総選挙が迫り来るなか、この動きは創価学会や公明党にとって、どんな意味があるのか。ノンフィクション作家・広野真嗣氏がレポートする。【前後編の前編】
「仏法が勝つ」と吼えた日
〈原因 令和5年11月15日相続 所有者 東京都新宿区信濃町○番地 池田かね〉
創価学会が本部を置く東京・信濃町の一隅に建つ一軒家で、最近、登記簿上の名義が変更された。
学会員が「永遠の師匠」と仰ぐ名誉会長の池田大作氏が死去したのは昨年11月。約8か月後の7月17日、自宅の所有権を92歳の妻・香峯子氏が相続登記した。
香峯子氏が半生を振り返った2005年の著書『香峯子抄』によれば、登記にある「かね」は戸籍名で、1952年に結婚した際、2代会長・戸田城聖氏から今の名を授けられた、という。
一軒家は延べ床344平方メートルの木造2階建てで、JR信濃町駅から徒歩5分の位置に建っている。その463平方メートルの敷地について路線価を8割で割り戻して計算すると、土地だけで約4億6000万円の価値になる。
前掲の著書によれば信濃町に引っ越したのは1966年(登記上の取得は1974年)。当時の家内の様子について香峯子氏はこう記している。
〈主人が帰ってきて、まだ子供たちが起きているときには、小さな狭い家ですが、各部屋につけてあるインターホンで、「パパがお帰りよ」と声をかけます〉(『香峯子抄』)
一等地に建つそれなりの広さの一軒家を「小さな家」と言い切れるのは、巨大教団トップの恵まれた家庭ゆえだろう。
この家を香峯子氏が相続するのは順当な流れだが、公称・827万世帯の巨大組織の未来にもかかわる、別のかたちの相続となる可能性も囁かれていた。
その点は後述するとして、もう1つ見逃せないのは、7月17日という登記の日付だ。この日は「大阪大会記念日」として学会員が重んじる大切な日なのだ。
参議院大阪地方区の補欠選挙が行なわれた1957年、創価学会の参謀室長兼渉外部長だった池田氏らは名刺をつけた百円札を各戸に投げ込んだ戸別訪問の容疑などで逮捕された。
起訴された学会員のうち20人には有罪判決が下ったが、創価学会がこの「大阪事件」に積極的意義を見出すのは、これが池田氏の武勇伝になっているからだ。