《深・10歳男子死亡事件》日本が「抗議するぐらいしかできない」状態に陥ったのは誰の責任なのか「中国に弱腰」では済まない摩擦の行方

外務省をして「起きるべくして起きてしまった」と言わしめる今回の事件。
かなり都会な深で、日本人学校に通う10歳の男の子が、登校中に刃物を持った男に襲われて亡くなってしまいました。何とも残念なことです。
今年6月も、中国東部の江蘇省蘇州で日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲われて、日本人の母子がけがをしてしまう事件がありました。その際、日本人をかばった中国人女性は刺された後に死亡してしまい、日本人として感謝と申し訳なさとが同居する、何ともいたたまれない気持ちになります。これは何か起き始めたら止まらないぞ、と政府関係者も気を揉んでいる最中だったんですよね。
事件に関する情報は現在かなり錯綜しているので事実関係を見定めることは困難ですが、深現地に進出している日系企業だけでなく欧米企業においても、現地での安全な生活の保障ができなくなったと判断して女性や子弟を本国に帰す動きも本格化しています。
中国大陸での安全アドバイザリーを提供している企業の現地レポートでも、いわゆる中国人による排斥的な動きが安全を脅かす危険が高まったとして、単純な注意ではなく標的とならないよう外出を控えることを勧めたり、日本人(またはアメリカ人など特定の外国籍)とハッキリわかるような行事や行動は避けるよう勧告しています。
特に、現在中国ではかつての日本のバブル崩壊とその後の氷河期を彷彿とさせるような、猛烈な景気低迷と雇用情勢の悪化が発生しています。
もともと地方では三農問題で貧困が問題視され、深や上海など沿岸部都市と比べて極めて貧しく格差の厳しい中国経済でしたが、いまでは中国全土で就業問題が発生しているのです。豊かな都市部でも、失業問題が一層酷くなると従前のような日本人への寛容さも期待できなくなるでしょう。
割と裕福とされる都市部でも新卒大学生の4月時点の内定率は5割を切ったとされ、厳しい就業状況とされた去年をさらに2%以上下回ったと見られます。ようこそ、失われた30年へ。俺ら団塊ジュニア世代の苦しみをお前らも味わえと言いたくなるような、大変な経済状況に陥って行っている中国の厳しい状況があります。
習近平体制への批判は禁止、庶民の怒りの矛先は日本やアメリカへ
表現や言論の自由のない中国共産党一党支配が長く続く中国社会において、技術的には欧米や日本と遜色なく発展したインターネット環境でも、SNSは特に当局による厳しい発言規制が敷かれています。
ところが、昨今の中国でのこれら日本人や欧米人に対する反感の強さを牽引しているのは、就職もままならない中国社会において、SNSでの習近平体制への批判が完全に禁じられていることから、庶民の怒りの矛先がもっぱら日本やアメリカに向いていることも背景にあります。
裏を返せば、当局が規制しないSNSでの発言は、基本的に中国社会において「当局が規制しないということは、その発言はある程度正しいことである」とお墨付きを与えてしまう捉え方をされていることを意味します。
中国経済不振の理由はアメリカにあるとか、日本を馬鹿にして下に見る発言が横行することは、結果として国民に許されるガス抜き的娯楽であり、不満や怒りのはけ口とされる可能性が高いということになります。
「日本人をたくさん殺せる」とロシアの義勇兵になったインフルエンサーも
中国版のTikTokでもWeiboでも、SNS上には大量の日本批判のコンテンツがインフルエンサーによって発信され、それが大量に閲覧されるとカネになることから、発言内容が荒唐無稽な過激さを競うようになるのもいつか見た風景であるとも言えます。
日本でも、靖国神社に放尿したり落書きをしたりした中国人が出て問題になり、さすがに中国当局も本邦外務省に平謝りの末に、帰国し凱旋したはずのインフルエンサーを当局が拘束し取り調べをしています。
それどころか、中国やロシアの一部当局では、ウクライナ側に立って日本人義勇兵が多数参戦しているというプロパガンダを流したことで、うっかり信じた中国人インフルエンサーが「日本人をたくさん殺せる」とロシア側義勇兵として参戦後、戦死してしまうという事態まで発生していました。
中国人全員がそのような軽挙妄動をするという話ではなく、日本でも、また中国でもこれだけSNSが普及し情報が飛び交う中で、一定の割合でそういういかれた情報を正しいと信じてしまう人がおり、さらにその中で一定の割合で具体的な行動に移す人が出る、ということでもあります。
日本でも中国でも、良い人もいれば、アカン人もいるのです。欧米や日本ではこれらのSNSは単なるプラットフォーム事業ですが、中国においては実質的に統治ツールになっているのです。
この辺のさじ加減は、明らかに中国の情報規制当局が握っているのは間違いないのですが、あくまでこれらの問題は対症療法であって、一部の軽挙妄動する中国人の発信を全面的に検閲して止めるまでには至っていません。
そういう中国の社会環境において、今回のような事件が発生したので日本政府が再発防止を中国政府に求める、というのは極めて微妙です。踏み込み過ぎると内政干渉と突っぱねられますし、意味のない抗議や遺憾砲発射を繰り返しても「反省してまーす」とあしらわれて終わりかねません。
実のところ、中国と日本の間の緊張関係で言うならば、これら言論面だけでなく、不当なスパイ容疑で拘束される日本人が起訴されてしまい解放できなくなっているという、事実上の北朝鮮拉致問題と構造的に大差ない問題まで引き起こしてしまっています。
2018年には、カナダを訪問した中国通信機器大手ファーウェイ(Huawei)社創業者の娘の孟晩舟さんが、秘密裏にイランを支援したかどでカナダ当局に拘束されるという事件が発生しました。この際、結局中国が特に問題のないカナダ人2名を中国で逮捕して身柄を拘束し、ある種の捕虜交換のようなプロセスで孟晩舟さんを司法取引の果てに釈放させるという決着となりました。
国際問題においては「お願いします」「分かりました」という穏やかな交渉ではなく、報復合戦の末の妥結も往々にして発生します。日本に住む罪のない中国人が排外主義的な日本人の妄動の犠牲とならないようその安全をしっかりと守りながらも、中国に住む日本人の安全を守らせるための交渉材料を捻り出さない限り、中国当局もこの問題を真摯に受け止め再発の防止に努めようとはならないでしょう。
一方で中国側も、かなり悪化してしまっている日本の対中国感情をどうにかしたいと考えている話があります。これは冒頭にも述べました通り中国経済の急速な悪化により社会不安が増幅してしまっているので、日本を含めた諸外国に対中国投資を増やして欲しいという切実な要望があるからです。
しかしながら、うっかり日本が中国に投資をしたり、日本人が現地を訪問したり、場合によっては中国に駐在したりすると、不当に中国企業や当局に資産を奪われるとか、日本人の安全が確保されないとか、よく分からない容疑で逮捕されて起訴され長時間不実の罪で収監されたりとかの問題が起きます。
とてもではないが、中国をビジネスパートナーに選んで進出できる環境ではなくなってしまっているのです。
自民党の総裁候補の中で、まともに対応できる人は現れるのか
これは、ちゃんと対応してくれない中国共産党や中国当局の問題もありますが、実際にはそれ以上に中国に対して日本の要求を受け入れさせられるだけの交渉材料を作ってこなかった日本外交の怠慢であるとも言えます。
もちろん、中国と同じように根拠もなく誰かを逮捕したり、政府がネットを検閲したりすることはできませんが、民主主義国として可能な手段はいくつか考えられ、これからきちんと対策が講じられることを期待するほかありません。
ただ、現状では具体的な手段を執行できません。結果的に、しっぺ返し戦略を本懐とする日本において、さまざまな法規に縛られたり政治的な決断力を欠いたりして、対中国で持てる武器を持っておらず子供が死亡しても抗議するぐらいしかできないわけですよ。
23年9月、ASEANプラス3で中国の李強首相を発見した岸田文雄さんが、食べかけのランチをぶん投げてダッシュで捕まえて、中国が「汚染水だ」と主張していた処理水問題を説明する顛末がありました。それぐらいのリーダーシップを継続的に発揮しないと解決しないのではないかとすら思います。
折しも、自由民主党総裁選が行われているさなかに投げ込まれた「日中関係」の安全保障ネタ、いったい誰が上手く食らいついて対処することができるのか、注目していきたいと思うとともに、今回亡くなられたお子さまには心より哀悼の意を表したいと存じます。
(山本 一郎)

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