帝王学を受けずに皇位を継承するのか…悠仁さまの「成年のご感想」と愛子さまの成年のご発言の圧倒的な差

秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下が去る9月6日に18歳のお誕生日を迎えられた。これによって、悠仁殿下は成年になられた。
このところ、悠仁殿下の大学受験が近づいたことから、その進路への関心が高まっている。東大を目指されるのか、それとも他の大学を選ばれるのか、と。
しかし、悠仁殿下が皇族であられても、進学先の選択についてはご本人の希望が最大限、尊重されるのが基本だろう。多くの国民が首をかしげるような、極端に不公正な扱いさえなければ、とりたてて第三者が口を挟む問題ではないはずだ。
しかし、進路選択があくまでも個人的な事柄であるのに対して、もっと重視すべき国民的な問題が他にある。それは、次代の「国民統合の象徴」の地位を継承すべき方がどなたで、その方に将来の天皇になられるにふさわしい教育環境が整っているか、という問題だ。
そこに、今の皇室をめぐる最大の不安があるのではないだろうか。
もちろん現在の皇室典範の規定をそのまま当てはめると、次の天皇は傍系の皇嗣でいらっしゃる秋篠宮殿下ということになる。しかしこれまでも指摘してきたように、秋篠宮殿下が即位される場面はリアルに想定しにくい。
何よりも、ご年齢の問題がある。昭和35年(1960年)にお生まれの天皇陛下と同40年(1965年)にお生まれの秋篠宮殿下では、わずか5歳しか年齢差がない。
将来、天皇陛下が上皇陛下の前例にならって、85歳でご高齢を理由に退位される場合、秋篠宮殿下はすでに80歳になっておられる。それから即位されるという展開は、率直に言って現実味がないだろう。
そうかといって、天皇陛下がご壮健でいらっしゃるにもかかわらず、秋篠宮殿下“のために”前倒しで退位されるというやり方も、難しい。上皇陛下が、加齢によって全身全霊で国民に尽くすことが困難になる前に、次の世代にバトンタッチしたいという動機から退位されたのとは、違う形になる。それでは、恣意的な退位という受け止め方がなされかねない。
不測の事態でもない限り、秋篠宮殿下が次の天皇として即位されることは、考えにくいだろう。
秋篠宮殿下ご自身も即位を考えておられないのは、これまでの様々のご言動から知ることができる(プレジデントオンライン令和4年[2022年]4月29日公開の拙稿「皇位継承順位は第1位でも『秋篠宮さまは即位するつもりはない』と言えるこれだけの理由」参照)。
政府や自民党などは「今の皇位継承順序をゆるがせにしてはならない」などと繰り返す。しかし実際には、今の皇室典範が規定する順序のまま皇位が継承されることは、想定しにくい。むしろ、そうならない可能性の方が高い。
そうすると、「女性だから」というだけの理由で皇女にさえ皇位継承資格を認めない今のルールのもとで、皇位継承順位が第2位とされている悠仁殿下には、天皇というお立場にともなう責任の重さとか、平素の心がまえなどを身近に体感する機会が、まったく与えられない。
その一方で、天皇、皇后両陛下にお子様がいらっしゃらないのであればともかく、敬宮殿下というお生まれになって以来、両陛下のお側で薫陶を受けながら育ってこられた皇女がいらっしゃる。
このような構図の中で、次の天皇に即位されるのはどなたが最もふさわしいか。俄然、不透明にならざるをえない。
こうした事情をよく理解しておられるはずの秋篠宮殿下は、悠仁殿下にどのような教育方針で臨んでこられたのか。
天皇陛下がお育ちになる際の上皇陛下のなさり方と比べると、そこには大きな違いがあった。まず、上皇陛下の場合を取り上げてみよう。
天皇陛下がまだ皇太子になられるより前、学習院中等科に入学された昭和47年(1972年)の定例会見(8月20日)で「浩宮様は将来の象徴になる人だと思いますが、そのための帝王学を具体的に何か……」などという質問があった。これに対して、当時は皇太子でいらした上皇陛下は以下のようにお答えになっている。
さらに、昭和51年(1976年)の上皇陛下のお誕生日に際しての記者会見で「どういう帝王学をお考えですか」と質問された時には、次のように答えられた。
また、ちょうど今の悠仁殿下と同じように、天皇陛下が大学進学を目の前に控えた時点(昭和52年[1977年])での、記者会見でのやり取りを紹介する。
当時、天皇陛下は帝王学(象徴学)の一環として、学習院大学の児玉幸多学長など一流の歴史学者から、“天皇の歴史“について個人的に学んでおられた。
ここに一貫しているのは、個人的な興味や学問的関心とは“別に”、将来に天皇として即位するにふさわしい人格として「国民のことを常に考える」心がまえ、「皇室の歴史を貫く仁の心」を身につけてほしい、という願いだ。
これに対して、秋篠宮殿下の場合はどうか。
秋篠宮殿下のお誕生日に際しての記者会見のたびに、記者たちは繰り返し悠仁殿下への「教育方針」について質問を重ねてきている。しかし残念ながら、将来の天皇にふさわしい人格を身につけるためにどのような教育を心がけておられるか、真正面からのお答えはこれまでなされてこなかったように見える。
悠仁殿下が2歳になられた平成20年(2008年)のお誕生日に際しての記者会見では、「一部では『帝王学』などという言葉も聞かれるようになりましたが、今後の教育方針については、どのようにお考えですか」との質問があった。秋篠宮殿下のお答えは以下の通り。
このお答えで興味深いのは、「娘たち」「上の2人の娘」つまり皇位継承資格を持たない内親王方と同じ教育方針で臨むことを強調しておられる点だ。つまり、「帝王学」(象徴学)という観点を除外した教育ということになる。
さらに悠仁殿下が10歳になられた平成28年(2016年)に、「皇位継承者として悠仁さまのお立場が注目されている中で、これから学び経験してほしいこと」を質問された。これに対するお答えは以下の通り。
「若干私自身のこととも重なるのですが」として「(ご自身が)比較的日本の各地いろいろな所に行って、そこの土地土地の文化に触れる機会がありました。そのことは今……意外と役に立っているんですね。……そのようなことから長男にも、もちろん海外も大事ですが、日本の国内のいろいろな文化に触れる機会を持ってもらえたらいいなと思っていますし、またそれも含めて、幅広い事柄に関心を寄せてくれたらと思っております」(平成29年[2017年]、令和元年[2019年]にも同じような回答)。
強い印象を残したのは、「立皇嗣の礼」が行われた令和2年(2020年)のやり取りだ。
記者からは、悠仁殿下の成長ぶりや進学先を含めた「教育方針」について、質問された。そこで秋篠宮殿下は、悠仁殿下の成長ぶりについて細かな内容を、詳しく説明された。しかし、進学先にもわずかに触れられながら、肝心な教育方針についてはまったく無回答のまま、「以上です」と打ち切られた。いつも質問には誠実に答えようとされているだけに、少し意外なご対応だった。
令和4年(2022年)も、記者から「(悠仁殿下に対する)皇位継承者としての教育方針」について、直球の質問が投げかけられた。
ところが、それに対して「次のことにつきましては」という婉曲的な表現をして、お答えもほとんど平成28年(2016年)の繰り返しに、わずかに以下の内容を加えただけだった。
ここで注意したいのは、日本の文化と歴史を学ぶことには触れておられても、最も大切なはずの「天皇の歴史」がまったく抜けている点だ。事実としても、これについて特別な教育が行われたことは知られていない。
天皇陛下が“皇位継承者”として上皇、上皇后両陛下から受けてこられた教育と比較すると、大きな違いがあるのに驚く。
これはおそらく、秋篠宮殿下が無責任であるとか、教育に熱心でないということを意味するのではない。そうではなくて、次代の天皇に最もふさわしいのは敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下であると、正しく理解しておられるからではあるまいか。
いわゆる帝王学、皇位継承者としての学びにおいて、天皇陛下のお側で暮らし、その感化を受けられる以上の教育はないことを、秋篠宮殿下こそ誰よりも深く知っておられるに違いない。
天皇陛下は成年式を前にした初の公式記者会見で、次のように述べておられた(昭和55年[1980年]2月20日)。
今の悠仁殿下よりも2歳年上でのご成年ながら、このご発言を先ごろご発表になった悠仁殿下のご成年に際しての「ご感想」と比べると、多くの国民はどのような受け止め方をするだろうか。あるいは同じく2歳年上ながら、敬宮殿下のご成年に際しての記者会見(令和4年[2022年]3月17日)の内容と「ご感想」を比べてもよいかも知れない。
敬宮殿下のご会見では、以下のご発言があった。
これに対して悠仁殿下のご感想には、「天皇」という言葉も、「皇族」という言葉も、「皇室」という言葉も、「国民」という言葉も、いっさい出てこない。
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(神道学者、皇室研究者 高森 明勅)

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