連日連夜、テレビや新聞で「パワハラ知事」とか「おねだり知事」などと批判され、県議会での不信任案の決議を受けて失職した兵庫県の斎藤元彦知事が、11月17日の知事選で再選されたのには驚かされた。
一昔前であれば、主要なマスコミにここまで批判されれば政治生命は確実に終わっていただろう。斎藤氏はなぜ生き残ることができたのか。
選挙結果などを分析すると、有権者の投票行動の大きな変化と、その背景にあるネット空間の影響力の増大が見えてくる。
1990年代はテレビで無党派層にアピール
国政選挙や地方自治体の首長選挙は、かつては農協や建設業界などの業界団体や労働組合などの中間団体と呼ばれる組織が大きな力を持っていた。それぞれが組織やメンバーの利益を実現するために支持する政党や候補者を決め、組織に属する有権者の多くがそれに従って投票していた。
支持と見返りがリンクした「利益誘導政治」である。組織票が決定的な要素だったため、選挙結果を予想することは比較的容易だった。
1990年代に入ると、中間団体の組織力が低下し選挙のたびに投票行動を変える無党派層が増えた。政治家は組織票があてにならなくなったため、テレビなどのメディアに積極的に登場し、目立つことで支持を広げようとした。いわゆる「テレポリティクス」の時代である。
2000年代以降になると、インターネットの普及とともにテレビの視聴率は低下し、「テレポリティクス」が影を潜めた。それとともに政治と有権者の距離が広がり投票率が次第に下がっていった。
総務省の情報通信政策研究所が実施したメディアの利用時間に関する世論調査の結果を見ると、主要メディアの1日の平均利用時間(平日)は2020年に初めてネットがテレビを逆転した。以後、その差は開き続けている。
2023年の場合、テレビの利用時間が135分なのに対し、ネットは194分となった。新聞はわずか5.2分に過ぎない。
年代別にみるとさらに驚くような数字がでている。
20代から50代まではネットの利用時間がテレビを上回っているが、特に10代、20代のネットの利用時間は4時間を大きく超えている。40代、50代も約3時間となっている。
これに対しテレビの利用時間は10代、20代が1時間を割っている。テレビの利用時間がネットを上回っているのは60代以上だけだ。そして新聞の利用時間は若い世代はほとんどゼロに等しい。
つまり若い世代を中心に多くの国民が、「新聞・テレビ」という伝統メディアから情報を得ることはほとんどなくなってしまったのだ。
ネット空間を飛び交ったSNSや動画
また兵庫県知事選でNHKが実施した出口調査の結果と、上記のネットとテレビの利用時間の年代別比較の結果を見比べると、面白いことがわかる。
出口調査では、若い世代を中心に斎藤元彦氏への投票が多く、2位となった稲村和美氏が斎藤氏を上回ったのは60代以上だけだった。一方、利用時間調査の結果は、若い世代ほどネット利用時間が多く、テレビがネットを上回っているのは60代以上だけだった。
つまりネットの利用時間と斎藤氏の支持は明らかに相関関係にある。
同じような現象が7月の東京都知事選挙での石丸伸二氏の得票や、10月の総選挙での国民民主党の躍進でも起きた。
3つの選挙に共通しているのは、シンプルなメッセージの動画やSNSが政党や候補者の選挙事務所などだけでなく、支持者をはじめ多くのユーザーなどによって頻繁に発信されることだ。中には明確な誤りや真偽不明のものもあるが、そんなことはお構いなしにネット空間に広がっていく。コメントを含め拡散が加速度的に進む。
特にネット利用時間の長い若い世代を中心に広がることはいうまでもない。これまで選挙に無関心だった若い世代などの層の好奇心に火がつき、遊説を見に行くなどの行動につながっていった。その結果、投票率もあがった。今までにない選挙運動の形態である。
こうした現象を起こしたのは、ネット空間が持つ独特の機能だ。
SNSやYouTubeなどのユーザーは、すべての政党や候補者の情報を網羅的に求めるわけではない。たまたま目にした情報が面白いと思って何度かアクセスする。するとアルゴリズムが働き、以後、その候補者に関する肯定的な情報が優先的にかつ頻繁に表示されるようになる。
似たような傾向の情報に繰り返し接することで、ユーザーはその候補者を信じるようになってしまう。これがネット空間でよく言われる「フィルターバブル」と「エコーチェンバー」という機能である。
ユーザーは閉ざされたネット空間で特定の政党や候補者を支持する情報に接する一方で、批判的な情報、あるいはほかの候補者に関する情報はあまり表示されない。その結果、それが当たり前だと思い込んでいく。
アメリカ大統領選挙でトランプ氏を妄信的に支持する集団が生まれたのも、こうした機能の結果である。
プラットフォーム商法が生んだ政治的現象
Googleなどのプラットフォームがユーザーの気に入った情報を優先的に表示することを重視するのは、政治的目的からではない。ユーザーの関心に沿った情報を選択的に表示し利用時間をできるだけ長くすることで、広告収入を増やすためである。
ユーザーの関心を刺激して利用時間を稼ぐ、これが「アテンションエコノミー」と呼ばれるプラットフォームの商法である。この「アテンションエコノミー」商法が、兵庫県知事選などの選挙で予期せぬ政治的現象を生み出したのだ。
こうした選挙には、ほかにも共通点がある。ネット空間で支持が広がる政党や候補者は、現在の体制=エスタブリッシュメントに挑戦する正義の味方というイメージが作られている点だ。石丸氏や斎藤氏が、いつの間にか自民党や県庁職員らと戦う正義の味方となっていくのである。
もちろんネット空間では、かつてのような利益誘導は武器にならない。訴える政策の全体像は不明確だが、何か壊してくれる、新しいことをしてくれそうだという、現状破壊願望が生まれて支持につながっていくのである。
またネットの利用時間が極端に長い若い世代がひきこまれていくのも共通している。この階層はこれまで政治にも選挙にもあまり関心はなかったが、ネットがきっかけで行動するのである。
こうした現象はいわゆるポピュリズムの概念にあてはまるだろう。
ポピュリズムは一般的には、既存の政治権力やエリート層を批判し、現状の変革を人々に訴えて改革を目指す運動とされている。人気を得ることを優先する「大衆迎合主義」ともいわれるが、それほど単純で軽薄な概念ではない。
欧米諸国ではすでに大きな政治的潮流とみなされているが、日本ではこれまでは目立った動きはないとされていた。
今年、日本で行われた上記の3つの選挙は、当事者がどこまで意識しているかは別にして、ポピュリズム的運動がネット空間と結びついた初めてのケースといえるだろう。その結果、これまで政治的に軽視されていた若者はじめヘビーなネットユーザーらが大量に動員され、選挙結果を大きく動かしたのだ。
民主主義の「多様な意見や議論」はどこへ
こうした変化を手放しで歓迎することはできない。商業主義に徹するプラットフォームの作ったシステムの中で国民が踊らされていることは間違いない。
しかも、流される情報はフェイクニュースと呼ばれるような信頼性の低いものも少なくないし、アルゴリズムによって偏ったものになっている。多様な意見や議論を前提とする民主主義の観点から言えば、極めて不健全で不健康なものだ。
それはネットとポピュリズムの融合した選挙の典型例でもあるアメリカ大統領選挙を見れば明らかである。
しかし、少なくとも当分の間、この流れを止めることは難しいだろう。3つの選挙を通じて、ネット空間をうまく利用すれば成果を上げることが実証された。
今後、まねごとをする政党や候補者が増えることは間違いないだろう。特に来年の参院選は、各党、各候補がこぞってSNSやYouTubeなどを利用した選挙戦を展開するだろう。それが選挙そのもの、さらには民主主義を思わぬ方向にゆがめてしまう可能性は高い。
薬師寺 克行:東洋大学教授