知床観光船沈没事故3年
「北の海で死ぬことの残酷さを、漁師は皆知っている」。だからこそ、何もせずにはいられなかった。
ボランティアとして事故現場周辺で犠牲者の遺体や遺骨、遺品を見つけてきた。遺族らに船上での慰霊の機会を提供しようと、約1300万円の寄付金も集めた。
知床の海に生きる漁師としての切実な思いが、北海道羅臼町の桜井憲二さん(61)を突き動かしている。
桜井さんは羅臼町の漁師の家に生まれた。周囲も漁業関係者が多く、幼い頃から知床の豊かな海に親しんで育った。
怖さも知った。
小学校の時、同級生の父親の漁師が海に落ちて亡くなった。家族を失った人の悲しみを間近で感じた。遺体を捜した大人たちの苦悩も聞き、幼心にその悲痛さが刻まれた。
18歳で自身も漁師になった。仕事仲間が海で事故に遭い、1週間後に遺体を引き揚げたこともある。漁師として知床の海の過酷さを肌身で理解し、40年間向き合ってきた。
2022年4月、知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没する事故が発生した。当時の水温は4度。息もできないほど冷たく、荒れた4月の海に投げ出された乗客乗員26人を思うと、いてもたってもいられなくなった。
登山仲間に呼びかけ、発生10日後に自主的に捜索に乗り出した。
仲間とともにボランティアで実施した捜索活動は計10回。切り立った崖が多くヒグマも頻繁に出没する沿岸部を歩くのは危険だが、「骨の一片でも家族の元に返してあげたい」。その一心で、遺体や遺骨、リュックや靴などの遺品を発見してきた。
昨年8月には乗客のデジタルカメラを見つけ、2年半を経て遺族の元へ返すことができた。
活動は乗客家族の支えにもなっている。
乗客の大半は道外居住者で、行方不明者の発見を知床で待ちたいという願いがかなわなかった家族も多い。そんな人たちからは「知床にいられない間に地元の方が捜してくれていることが、つらい心を救ってくれた」と感謝された。
次第に乗客家族の多くと連絡を取り合うようになった。そのうちの一人が知床を訪れた際、ふと漏らした一言にショックを受けた。
「一般の観光客に交ざって観光船に乗り、ひっそり花を手向けたんだ」
事故後、乗客家族が現場海域で慰霊できる機会は一度も設けられていなかった。その家族は、観光を楽しむ客の邪魔にならないように、亡き人の名を呼んだり涙を流したりするのを我慢したという。
「思いを分かり合える乗客家族だけで、静かに慰霊できる時間を作ってあげたい。誰も企画しないなら自分が動くしかない」。そう決意し、24年10月にオンラインで寄付を募り始めた。
約半年で目標の1000万円を超え、約1300万円が集まった。小型船2隻を手配し、乗船を希望する乗客家族43人の交通費や宿泊費のめども立った。
心配なのは天候だ。「資金的にもご家族の心情的にもやり直しがきかない。1年で最も適した日を選ぼう」と、長年の経験から7月12、13日を予定日にした。
この時期は海が最も荒れにくく台風も来にくい。出港は午前6時で、気圧が安定する午前中に港に戻るつもりだ。
乗船予定の家族の複雑な心境も理解する。長男(当時7歳)と元妻(同42歳)が行方不明になった男性(52)は「知床に近づくのも海を見るのもつらいが、現場に一番近づける唯一の機会だから」と、悩んだ末に参加を決めた。
他の乗客家族の中には「現場で現実を受け止めることはできない」と乗船を断念した人もいれば、「高齢の家族と一緒に弔える最後の機会かもしれない」と洋上慰霊を待望する人もいる。
「どのご家族にとっても乗船の決断は重い。当日になってやっぱり乗れないという人もいるだろう。洋上慰霊の時間は、それぞれの心のままに過ごしてほしい」
23日で発生から3年。桜井さんは今も乗客家族に寄り添いながら、地元の海で起きた未曽有の事故に向き合い続けている。【後藤佳怜】