新型コロナウイルス感染症の蔓延は日本の厚生行政とムラ社会の医療界が抱えてきた、さまざまな問題を浮き彫りにしたという。問題となった日本の感染症対策、厚生行政の構造的な問題とはいったい何か。『厚生労働省の大罪-コロナ政策を迷走させた医系技官の罪と罰』 (中公新書ラクレ)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
日本は1年遅れてポストコロナ時代に入った
新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)が日本で初めて確認されてから約3年4カ月が経過した2023年5月8日、感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)上の位置付けが、重症急性呼吸器症候群(SARS)などと同じ2類相当の「新型インフルエンザ等感染症」から、季節性インフルエンザと同じ5類へ引き下げられた。
米国やヨーロッパ諸国は、新型コロナウイルスがオミクロン株に置き換わって弱毒化し、重症肺炎になるリスクが減ってきた2022年1月頃から、マスク着用の義務や行動制限を撤廃し始めた。英国は、いち早く同年1月27日に、公共施設でのマスク着用義務やワクチン接種証明の提示を廃止した。世界から1年以上遅れて、やっと日本はポストコロナ時代に入った形だ。1年遅れたことによる社会や経済への悪影響は計り知れない。国内では、「2類相当」となっていたことで、無駄な税金が「新型コロナ補助金」として、それほど患者を受け入れていない大病院へつぎ込まれた。それでも、誰かが終止符を打たなければこの流れは止まらなかった。遅きに失した感はあるが、医療界や専門家の中には2類相当から5類への移行に反対する声が強かったにもかかわらず、新型コロナを季節性インフルエンザと同等の扱いにすることを強行した岸田文雄首相には、敬意を表したい。
何しろ、3年間、徹底的にウイルスを封じ込めるゼロコロナ政策を取ってきた中国でさえ、2022年12月、これまでの政策を大きく転換し、ウイルスとの共存を目指す方向へ舵を切った。中国政府が突然、「コロナは普通の風邪」と言い出し、中国国民は一時パニックに陥ったが、久しぶりに手に入れた自由を謳歌しているように見える。中国経済は開国が遅れたダメージを必死になって打ち消そうとしてくるだろう。米国の疾病対策センター(CDC)は、2022年8月、ワクチンや治療法などの重症化を防ぐ手段が増えてリスクが大幅に減少したので、感染者と接触した人の自己隔離や社会的距離を取ることは不要だとする新ガイドラインを発表した。翌月には、ジョー・バイデン大統領が、「新型コロナのパンデミックは終わった」と宣言した。2022年11月から12月にかけて行われたサッカーW杯カタール大会では、ほとんどの観客がマスクをしていなかったことからも分かるように、世界の大半、特に日本を除く主要先進国は、2022年後半頃までに既に新型コロナに対するパンデミック扱いを改め、ポストコロナ時代に入った。これは経済を優先させて政治家が見切り発車をしたという話ではない。CDCの新ガイドラインは、科学的根拠に基づき、医学・公衆衛生の専門家の判断で作成されている。
2021年後半から「新型コロナは健康な若年者にとっては普通の風邪であり、5類相当にすべき」の意見
ところが日本では、2020年1月に感染症法で「指定感染症」とされてから2023年5月7日まで、新型コロナの感染症法上の位置付けは結核や重症急性呼吸器症候群(SARS)並みに危険度が高い「2類相当」とされ、感染者を病院などに強制隔離する政策が取り続けられた。濃厚接触者の概念は、徐々に狭まったものの、新型コロナ感染拡大が始まった当初は、陽性になったら隔離され、同居の家族や職場の同じ部署の人たちも濃厚接触者としてしばらく出勤できなくなった。医療関係者にも濃厚接触者が多数出て、そのために患者を受け入れられなかったり、受け入れ人数を減らしたりした医療機関も少なくなかった。
ちなみに、日本の感染症法では、感染力と罹患した場合の重篤性等に基づく総合的な観点から見た危険性の程度に応じて、感染症を1類から5類まで5つに分類している。1類はエボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、ペストなど極めて危険な感染症、2類は、重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、急性灰白髄炎(ポリオ)、結核など。3類にはコレラ、細菌性赤痢、腸管出血性大腸菌(O157など)感染症、4類には狂犬病、デング熱などが含まれる。この分類に含まれない「指定感染症」は、既に知られている感染症であって1~3類と同等の扱い、つまり、全て届け出が必要で、感染者を病院に強制隔離すべき感染症と位置付けられている。指定感染症の指定期限は2年なので、新型コロナは途中で、全国的かつ急速な蔓延により国民の生命及び健康に重大な影響を与える恐れがある「新型インフルエンザ等感染症」に変更された。言葉がややこしいが、季節性インフルエンザとは別格で、感染症法では隔離が必要な感染症(2類相当)に位置付けられていた。すでに2021年後半から、一部の医療関係者からは、「新型コロナは健康な若年者にとっては普通の風邪であり、5類相当にすべき」との意見が出始めていた。なぜなら、それほど重症ではない患者も多かったにもかかわらず、「2類相当」となっている限り、隔離を患者に強いて、さらに病院としても、新型コロナ患者と別の病気の患者の動線を完全に分けなければならなかったケースが多かったからだ。これは現実的でない。また、症状はなくても「濃厚接触者」の烙印を押された看護師や医師、事務員などが(時期によって異なるが)10日間休まなければならない事態になり、人手不足で診療を縮小せざるを得ない医療機関も多かった。5類であれば、季節性インフルエンザ、はしかなどと同じで、患者数の全数把握が必要なく、隔離はもちろん、重症にならない限り入院も必要ない。通常の保険診療で対応できる。
行動制限をしてもしなくても流行は起こる
2022年1月頃から新型コロナは、感染力は強いけれども毒性が弱く重症化リスクの低いオミクロン株に置き換わったこともあって、感染症法上の位置付けを「2類相当」から、季節性インフルエンザと同じ「5類」へ引き下げるべきだという意見が与野党からも出た。それでも感染症の専門家たちや厚生労働省はコロナを感染症5類へ変更する気配すら見せなかった。感染力の高いオミクロン変異株のBA.5の流行で急激に感染者が増えた2022年7月には、このまま感染者数を全数把握していたら保健所や医療機関が大変だということで、全国知事会などの団体が、2類相当から5類へ格下げするように政府へ要望した。しかし、「2類では全て公費で自己負担はないが、5類だと通常のインフルエンザ並みの3割負担になる」、「5類にしたら病院に患者が集中して医療従事者が困ることになる」などという専門家の意見で5類への変更は却下され続けた。
そして、2022年8月後半頃から感染者が減ったと同時に、世間の関心が統一教会問題へ移ったためか、「2類相当から5類へ」の変更は見送られた。いよいよ政府が5類へ移行する方針を示した2022年12月末でさえ、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議)」「新型コロナウイルス感染症対策分科会(以下、感染症分科会)」の一員で、新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード座長、国立感染症研究所長の脇田隆字氏は、次のように発言し、5類への変更に難色を示した。
「新型コロナが季節性インフルエンザと同様の対応が可能な病気になるにはもうしばらく時間がかかる」
新たな感染症への対策には、科学的なデータを冷静に見ながら臨機応変の対応が必要だ。しかし、日本の感染症対策の司令塔であるはずの厚生労働省と専門家会議は、世界の潮流とは違った方向へ進み、新型コロナの拡大開始から3年が過ぎても迷走を続け、時代遅れの隔離中心の感染症政策を続けた。新型コロナウイルスは、今後も変異を繰り返すとみられるが、ワクチンや治療薬が開発された今、強毒化して死者が急激に増えることは考えにくい。日本では感染者が増えるたびに、人の流れが影響するかのように「第○波」という表現をしていたが、2022年末に感染が爆発したにもかかわらず、政府がほとんど行動制限をしなくても年明けから自然に感染者数が減少していった。つまり、行動制限をしてもしなくても流行は起こる。世界的に特にアジアでは、冬と夏に大きな流行、そして春にも小さな流行が来る季節性の感染症であることが分かってきた。つまり季節性インフルエンザと同じ対策で問題はない。私自身、実際に、新型コロナの患者をこれまで多数診療してきたが、特にオミクロン株に置き換わってからは、季節性インフルエンザよりもむしろ症状が軽い人が大半だ。私が診療をしているクリニックでは、一般的な風邪の患者を診るときと同じようにマスクは着けるが、宇宙服のような防護服などを着用することもなく診察している。
5類移行で医療ひっ迫の可能性を煽った厚労省・医療関係者・マスコミ
5類に移行してしばらくの間は、「新型コロナを季節性インフルエンザと同じ扱いにしたために、医療が逼迫する可能性がある」と厚生労働省や医療関係者、マスコミが騒ぎ立てたが、実際には医療崩壊などほとんど起きていない。ただ、東京では、救急車を呼んだり、かかりつけ医が、入院が必要と判断したりしても、受け入れ先がなかなか見つからない「入院難民」は、これからも出続けるだろう。それは、東京都内には、大学病院やがんなどの専門病院、高度医療をする大病院はたくさんあるが、高齢者の持病が悪化して体調を崩し「入院が必要」などと判断されたときに、入院できるような中小病院が少ないからだ。大学病院などの大病院は、介護が必要で、入院が長期化しそうな高齢者や、肺炎、胃腸炎など軽い病気の患者はなかなか受け入れない。例えば、東京都港区には、大学病院や大病院など計13病院があるが、脱水や胃腸炎など軽い病気で入院できる200床以下の中規模一般病院は古川橋病院(49床)くらいだ。人口10万人当たりに換算すると18.7床で、人口急減によって消滅の危機もあるといわれる地方都市よりも少ない。この状況は、東京都内の他の区でも似たような状態で、大阪市などの大都市でも入院難民が多数発生している。
なぜ、このような事態が起きるかというと、入院料などの診療報酬はほぼ全国一律同じ値段なので、地価や人件費の高い大都市での病院経営は苦しいうえに、政治力がないせいか中小病院の診療報酬は低く設定されているからだ。診療報酬は、厚生労働省の医系技官が仕切る中央社会保険医療協議会(中医協)で決めている。医系技官は、医師資格を持つ官僚のことだ。都市部の入院難民を減らすには、過剰になった大学病院などの病床数が減るように診療報酬を下げ、その分、中小病院に振り分ける必要があるが、医系技官などの天下り先にもなる大学病院や大病院を彼らが冷遇することはない。そもそも都市部の中小病院がこれほど減ってしまったのは、「中小病院は社会的入院が多い」としてその診療報酬を抑えてきたからだ。確かに社会的入院は減らすべきだが、本当に入院が必要な人を受け入れる病院が都市部になくなってしまった弊害は大きい。これまでたびたび起こっている都市部の医療崩壊は、厚生労働省、特に隔離政策等を中心になって進めた医系技官たちの責任ではないか。文/上 昌広 写真/Shutterstock
『厚生労働省の大罪-コロナ政策を迷走させた医系技官の罪と罰』 (中公新書ラクレ)
上 昌広 (著)
2023/10/10
¥946
240ページ
978-4121508027
総理が命じても必死でPCR検査を抑制。執拗に感染者のプライベートを詮索。世界の潮流に背を向け、エアロゾル感染は認めない……。いまとなっては、非科学的としか思えないあの不可解な政策の数々はなんだったのか。だいたい、あの莫大なコロナ関連予算はどこに消えたのか。新型コロナは、日本の厚生行政とムラ社会である医療界が抱えてきた様々な問題を炙り出した。医療界きってのご意見番が、日本の厚生行政に直言する!