36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件の裁判は、最終段階の「量刑」に関わる審理が始まった。遺族や被害者が意見を述べる「意見陳述」が5回にわたり行われる予定で、計26人の犠牲社員・被害者の遺族や代理人らが法廷で直接、または書面で述べていく。残された家族の思い、青葉被告に直接伝えた「言葉」を連載する法廷ドキュメント17回目。
25歳女性社員 母親の供述調書を検察官が読み上げた
(母親の供述調書)娘は小さいころから絵を描くのが好きで、高校では漫画部に入り、卒業すると『美術系の大学に行きたい』と言いました。大学院生の時、「京アニのプロ養成塾を受験していて合格した」といい、私は受験をしていたことすら知りませんでした。
日中は大学院に行き、夕方は京アニの塾に通っていました。そして京アニに入社しました。「仕事を休みたい」と言ったこともないし、「辛い」と愚痴を言うこともありませんでした。「嫌な人は一人もいない」と話していました。
事件後、「娘さんには期待していた。本来は入社1年で動画を担当するけど、娘さんは入社半年で合格した。塾のころはわざと厳しく指導していたけど、言えば言うほど努力していた」と会社の人から聞きました。いつも笑顔で、優しく、争いごとを好みませんでした。(いずれも供述調書より)
病院で「娘です」と言われたが…ちょっと違う
(母親の供述調書)仕事中の夫から突然電話があり、京アニで火事だと聞きました。すぐに娘にLINEしましたが返事はなく、会社に電話しました。会社は「今のところ分からない。」と言われました。
午後4時ごろ、会社から電話があり、私と夫は急いで病院に向かいました。病院で「娘です」と言われた人を見たとき、私はちょっと違うな、髪が長いし、靴下も見たことがないと思い、「違う子ではないか」と話しました。病院からは「今はけがをしてむくんでいるので、普段と違うのでは」と言われました。
あとから聞いた話ですが、娘と背格好や服の趣味も似ていて、社内でも間違われるほど似ていたそうです。
長男が(血液型表示を見て)おかしい、という話になりました。家に帰って娘の写真を探しました。病院の方に、「少しの間なら人工呼吸器を外してもいい」と言われ、外して確認したら娘と歯並びも違いました。私はその子のことを、ずっと娘だと思っていたので、「じゃあ娘はどこにいるの」となりました。
7月23日、警察から「亡くなった一人が娘とわかった」と連絡がありました。葬儀場で対面しました。警察から、「体が傷ついているので見ないほうがいいです」と言われましたが、私は親として、最後を見届けたいと思い、対面しました。顔にはすすがついていましたが、すぐに娘だと分かりました。(いずれも供述調書より)
「謝罪も反省も求めません。それで償える犯行ではない」
「謝罪も反省も求めません。それで償える犯行ではない」入社2年目で犠牲となった女性社員の父親は意見陳述で、自ら書面を読み上げました。
被告人一人に罪を負わせることの考えについて述べます。(被告に)ポジティブな側面があっことに、逆説的ではありますが安堵を感じました。柔道することを許可してもらっていたことや、柔道ができるほど食事ができ、体力もあったのだろうと思います。私は仕事の関係で虐待を真に当たりにすることもあります。被告人の生育環境は、罪を問うにも絶句する環境ではありませんでした。
弁護人から、「死刑制度を前提に考えなくてはならない」と冒頭陳述でありました。結論から言うと、今回の裁判と死刑制度を一緒に議論することは適切ではありません。議論は別の場所で行っていただきたいです。
娘が巻き込まれたことについて話します。娘が仕事に手ごたえを感じていた時に人生を閉ざされたことは、どんなに無念だったかと思います。自分の足で歩み出した娘、親から巣立っていく娘をそっと見守り応援していました。
被告への処罰感情については、「なんてことをしてくれたのか」という気持ちです。亡くなった方や、被害者の方のことを考えたとき、被告には命を持って罪を償ってほしい。被告には謝罪も反省も求めません。それで償える犯行ではないからです。
「自慢の娘でした。娘を返して!と叫びたい」
「本当に自慢の娘でした。娘を返して!と、叫びたい」30歳で犠牲になった栗木亜美さんの母親は、強い口調で意見陳述をはじめました。
この事件の一番の原因は被告人本人です。責任能力って何ですか?どんな理由があろうと、殺人が許されてよいわけありません。私は、事件から娘が亡くなったとわかるまでの1週間、記憶がありません。娘に会えた日のことは、鮮明に覚えています。棺に横たわっていたのは、確かに娘でした。
「怖かったね」「苦しかったね」とたくさん言葉をかけました。代わってあげられなかった悔しさで「ごめんね」「ごめんね」と繰り返しました。いつものように仕事に行き、黒い煙にまかれ、なにもわからず意識を失い、そのまま逝った娘。本当に無念だったと思います。
内定したときの喜びの笑顔、画力が足りているかと悩みながら努力する姿はいまだに目に焼きついています。本当に自慢の娘でした。「娘を返して!」と、叫びたい気持ちでいっぱいです。事件一年ほどは、娘が亡くなったことしか考えられませんでしたが、時間が経つにつれ、被告人への憎しみや恨みが深まってきました。
ここにいる皆さんは、もし大切な自分の家族の命を人の手によって奪われたら、許せますか。こんな大きな犯罪を犯したのに、被告人に心からの謝罪や反省を求めることは不可能だったと、公判を通して思いました。ならばせめて、この恐怖と絶望と悲しみを、被告人にも味わってほしいと思います。この想いを強く、極刑を望みます。
この日、さらに意見陳述は続いた。あわせて26人の犠牲社員・被害者の遺族や代理人らが法廷で直接、または書面で述べることになっている。