新潟県長岡市の長岡花火で打ち上げられる慰霊の花火「白菊」の生みの親で、長岡花火の発展に貢献した花火師・嘉瀬誠次さんが14日午前2時過ぎ、老衰のため亡くなりました。101歳でした。
1922年に花火師・嘉瀬誠喜さんの長男として生まれ、1936年、14歳で花火師の道へ。1945年の終戦と同時に旧ソ連によるシベリア抑留を経験し、多くの仲間を失った嘉瀬さんは、長岡空襲の犠牲者を慰霊する花火「白菊」を生み出しました。
1951年には、誠喜さんとともに「三尺玉」を復活させて戦後初めて打ち上げに成功。1953年には長生橋を生かした「ナイアガラ」を提案するなど、長岡花火の発展に貢献し、2016年に長岡市民大賞を受賞していました。
長岡市の磯田達伸市長は「長岡花火の生みの親であり、育ての親でもありました。長岡花火の発展に多大なご貢献をされただけでなく、花火を通して多くの市民に希望と感動、誇りを与えていただきました。嘉瀬さんの思いを引き継ぎ、これからも長岡花火のさらなる発展に努めていきたいと思います」とコメントしています。