現代の日本ではファッション性の観点から、タトゥーがポジティブに解釈される場面が以前よりも格段に増えた。賛否両論があるとはいえ、タトゥーが市民権を得つつあるといっても過言ではないだろう。
とはいえ、今も“社会生活”を送るうえでの障壁はさまざまなかたちで残り続けている。若かりし頃には関係なかったとしても、結婚し、子どもを持ち、その意味合いが変わってくることだってある。自身の身体にタトゥーを刻み、母親になった女性たちはいったいどのような困難に遭遇し、どのような思いでいるのか――。
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最初のタトゥーは母の命日に
「私の場合、日常生活で頻繁に露出する部分に大きなタトゥーが入っているわけではないので、今のところ、ものすごいトラブルには巻き込まれていません」
そう話すのは、網野幸代氏(30代、仮名)。妊娠を機に辞めるまで関西の大企業で受付業務を担当していた彼女は、現在、自宅で美容系の資格を活かしながら仕事をし、家族で暮らしている。幼児を養育する母親でもある。
「ただ……小耳に挟んだのですが、私が勤めていた企業では、全社員に『タトゥー禁止』の通達が回ったようです。お客様をご案内する際に、首や脚のタトゥーが見える可能性はありますよね。口には出さなくても、『ふさわしくない』と考える方がいるのも理解はできます」
網野氏の身体には、大小合わせて7つのタトゥーが入っている。トータルな身体像があったわけではなく、彫りたいときに好きな絵柄を入れてきた。したがって、これからもきっかけさえあればタトゥーが増える可能性は「なくはない」のだという。
網野氏が最初に身体に墨を入れたのは、22歳のときだ。
「母の命日にお墓参りに行って、その帰りに彫り師のところへ行ってタトゥーを入れました。母は私が中学生のころに癌で亡くなったんです。仕事も家事も育児も、全力でやる女性でした。私たちはきょうだいが多かったのですが、ひとりひとりと向き合って子育てをしてくれましたね」
母親は優しさと厳しさを兼ね備えた人で、「母が生きていたらタトゥーなんて入れられない」と微笑む網野氏の記憶には、こんな一幕が残っている。
「私は根っからの勉強嫌いで、教科書なんてほとんど開いたことがありませんでした。ただ、バレーボールだけは熱心に取り組んでいて、母はそれを応援してくれていたんです。高校進学が見えてきた頃、末期癌だった母は病を押して、校長室で私のために土下座までして進路を確保してくれました」
母親の懇願が奏効し、網野氏は全国に名が轟くバレーボールの名門校への推薦入学を果たす。母親は高校生になった彼女の姿を見ることはできなかったが、厳しいしごきに食らいつくことで、網野氏は母の遺志に応えた。
「未だに部活の夢を見てうなされますし、指導者はかなり厳しかったと思います。はたく、ボールをぶつける、怒鳴り散らすは当たり前。毎日つらくて辞めたいと思いながら続けました。ただ、感謝している部分も確かにあって……そのあたりを言葉にするのは非常に難しいんですが」
誰も信頼できなくなった、ある事件
一方で網野氏は、高校時代を「もっとも暗くて、死にたいと思って過ごした時期」とも振り返る。その理由は学校以外のところにあった。
「父とはそりが合わなくて、家庭にいるのが苦痛でした。もともと家庭を顧みない人でしたから、母の死後、より疎遠になりました。学校の友人の自宅に泊めてもらって、そこから登校する日も多かったと思います」
さらに別方向からの“事件”が網野氏の精神に追い打ちをかける。
「母を失ってから我が家に出入りするようになった、年上の男性がいました。なにかと親身になってくれる人で、思い返すと、母が抜けてしまった私たち家族の精神的支柱になってくれていた部分があります。
やがて姉がその方と交際することになり、結婚が間近に迫ったころ、私は彼の自宅に呼び出されました。当然姉もいるのだろうと思っていましたが、家には彼しかいませんでした。そこで、私は彼から執拗に性的ないたずらをされたのです」
精神的ショックから網野氏はなかなか切り出せずにいたものの、始終を察した姉は結婚を中止したという。この一件以降、網野氏の心の奥底には「誰も信頼できない」という思いが沈殿することになった。
タトゥーに励まされた部分も大きいが…
長い年月をかけて人間不信を克服し、網野氏は現在、「30代が一番充実している」と言えるまでになった。その過程では、最愛の母親の命日に入れたのを皮切りに増えていったタトゥーに励まされた部分も大きいという。しかし、それが原因で不安を感じることもある。
「タトゥーを入れている知り合いで、機転が利き、仕事ぶりも非常に真面目な人がいます。普段はタトゥーを見せたりすることのない、物腰の柔らかい人です。
その人は大きな企業の出世頭だったのですが、SNSにアップされた過去の写真が企業幹部の目に留まり、タトゥーが問題になりました。結局、内定していた昇格人事は白紙になったと聞いています。上場を目指す企業なので、社員の“身辺調査”には余念がないのでしょう。
自分が見せびらかすつもりがなくても、タトゥーが原因で、能力とは無関係に経済的な影響を受ける可能性があるのは不安ですね」
後悔はないけど薦めない
社会生活においてはリスクともなり得るタトゥーを、網野氏はこう捉える。
「タトゥー=怖い人、という紋切り型のイメージは、必ずしも当てはまらないと思っています。ただ確かに、ママ友のなかには遠巻きに私をみて軽蔑した眼差しを送ってくる人もいますし、外見で評価を下げられる事実があるのも確かです。
『中身さえ見てくれれば……』と本音では思うものの、第一印象が外見で決まる事実は否定できませんし、そこで門前払いされる価値観で世の中が回っていることは受け入れなければならないですよね」
まだ幼い我が子が将来、タトゥーを入れたいと言い出したらどのように答えるのか。
「私の身体にここまで墨が入っているので、禁止するのは理不尽ですよね。本人がタトゥーを入れることについて、『どこまで理解しているか?』に尽きるように思います。よく言われている話ですが、プールや温泉などの当たり前に楽しめる施設にも入れませんし、奇異な目で見られることもまだまだあるでしょう。
私個人はタトゥーを後悔していませんが、周囲に積極的に薦めることは絶対にありません。ライフステージが変わるごとに、タトゥーによる弊害が出てくることもあり得ます。むしろ、タトゥーのデメリットをすべて理解してなお入れたいと思えないのであれば、見送るのが最適解かなと感じます」
背中一面の荘厳なタトゥー
筆者の前に現れた相川エリナ氏(30代、仮名)は、目が合うなり深々と一礼した。首元にちらっと見えるタトゥーが、15年以上前を思い起こさせる。すっと鼻の通った顔立ちが少しも変わっていない。当時、相川氏は世界的なミュージシャンが主催するフェスに出演するボーカリストだった。
新人ながら、背中一面に入れたタトゥーと繊細で力強い歌声が織りなすパフォーマンスは、会場に確かなインパクトを残した。その後、音楽番組のレギュラーに抜擢され、楽曲を順調に発表していたが、突如として活動を休止。現在は一般企業のデザイナーとして勤務し、小学生の男の子を育てるシングルマザーだという。
手元にある彼女のCDジャケットを改めて見ても、荘厳なタトゥーが目を引く。20代にしてこれほど大きなタトゥーを自らに施した経緯について聞いた。
「私は父がアメリカ国籍、母が日本国籍の、いわゆるハーフです。物心ついたときから海外の楽曲に触れ、アーティストという存在をリスペクトしていました。子供の頃から周囲には海外の方が多く、タトゥーを入れている人もいたので、自然と『私も入れたい』と思うようになり、高校生くらいのときにはすでに自分の意志を周りに伝えていた記憶があります。
ただ、両親はあまりいい顔はしなかったですね。とても厳格なんです。それに、タトゥーを入れると日本では浮いた存在になってしまいます。ただでさえ幼少期はハーフという見た目の問題でいじめられてきたので、心配してくれる気持ちもよくわかります。
年子の兄は硬派で頼りがいのある存在で、最終的には私のわがままに付き合ってくれる人。手先も器用なので、高校時代に一度だけ風呂場で針と墨を持ってきて彫らせたこともあります(笑)」
19歳の誕生日に
学生時代のタトゥーの真似事は、高校卒業後にすぐに本格的なものに変わった。
「最初のタトゥーは、19歳の誕生日に入れました。部位は、首の下と手首、それから腰です。
家族にショックを与えたらよくないので黙っていたのですが、ふとしたときに、自宅に遊びに来た叔母に『あ、タトゥー入れたのね』とバレてしまって。叔母は海外のロックミュージックに造詣があり、話のわかる人で、偏見もないので軽い調子で言ってくれたのですが、そこから仲の良い親戚中に話が広まり、結局全員にタトゥーを入れたことがバレました(笑)」
快活に、ときに笑いを交えて話す相川氏だが、前述のようにハーフが理由のいじめを経験している。必然的に、少数派が強いられる我慢や苦労に対して、現在でも繊細に反応してしまうのだという。
そんなタトゥーばかり入れて恥ずかしくないの?
「私が小学生のころは、『純粋な日本人ではない』見た目であるということが差別の対象になったり、ときに暴力のはけ口になっていました。
タトゥーについても似たような問題はあって、まったく知らない人から『怖い』『偉そうにするな』などの罵声を浴びせられたり、浅い関係性の人から『そんなタトゥーばかり入れて恥ずかしくないの?』などとせせら笑われたこともあります。確かに、タトゥーを入れた人たちの一部には、自身の力を誇示するのが目的の人もいるでしょう。しかし私が知る限り、タトゥーを入れている人たちは、個人では抱えきれない思いを身体に刻み込んでいるように思えるのです」
相川氏の身体に刻まれたタトゥーにはこんな意味がある。
「芸能活動を始めた矢先、兄が事故で他界したんです。これまでさまざまなことを2人で乗り越えてきた無二の存在が突然消えてしまったことに、憔悴しました。
兄の遺体をみると、左側の損傷が激しく、右側はきれいなままだったのです。私はキリスト教を信仰しているのですが、キリスト教において“右”は重要な意味を持ちます。たとえば十字を切るときは必ず右手を使用しますし、祈りで手を合わせるときは右手を上にします。聖書には『全能の父なる神の右に座したまえり』(新約聖書マタイ福音書)という言葉もあります。
そこで、私は神様が右半身にいてくださるなら、左半身には兄の名を彫ろうと考えました」
生前最後に会話したとき、兄からはタトゥーを両親が心配しているとして、こんな忠告を受けたという。「好きに生きるのもいいけれど、バランス良くね」。相川氏は、兄の死をきっかけに、彼の名を刻んだタトゥーを最後にしようと決心した。
天国の彼らと自分をつなぐ
「兄の死から数年で、叔父が病気で亡くなりました。叔父は芸能活動を熱心に応援してくれていて、いつもライブを楽しみにしてくれていました。幼少期から手のかかる私を可愛がってくれて、器用な生き方ができない代わりに愛情の深い人でした」
さらにその数年後、10年以上交際した婚約者が事故死する。
「最初のタトゥーを彫りに行くときもついてきてくれた人で、心が広くて波長が合い、一緒にいると芯から安らぐことのできる存在でした。将来もずっといられると思っていたので、亡くなってしまった前後のことはほとんど覚えていないほどです。端的にいえば、彼は私の生き甲斐でした」
兄の死後、タトゥーは最後にすると誓った相川氏だったが、これらに関連して、故人との繋がりを感じられるデザインを腕に刻んだ。相川氏にとって、タトゥーは重い意味を持つ。
「先に天国へ旅立った彼らと繋がっているような気がするので、気が引き締まります。不品行は働けませんし、怠惰な自分が出てきて易きに流れそうになったときも踏み止まるよすがになるんです」
当人にとっては他に置き場のない、祈りにも似たタトゥー。しかし、当然ながら世間は必ずしもその深淵を知らない。現在、小学生の男の子を育てる相川氏は、こんなトラブルに遭遇した。
被害者なのにタトゥーのせいで…
「ある時期、息子が学校でいじめに遭って悩んでいる時期がありました。いじめというよりは、集団で殴る、わざと睾丸を狙って蹴るなどの、犯罪と呼んで差し支えのないものです。
私たちと加害者の保護者で事実認識に食い違いがあり、校長や学年主任まで巻き込んだ話し合いが行われました。相手の保護者は『あなたはこんな入れ墨を入れて、シングルマザーで。親子は似るので、そちら様にも問題があるのではないでしょうか。むしろ私たちが被害者なんです』と捲し立てていました。
担任の先生は日頃の息子の様子を見てくれている方で、また私が保護者として熱心に教育に取り組んでいることも理解してくれていたので、相手方の主張は退けられました。外見によって、被害者であるにもかかわらず謝罪もされず、悪者のような扱いをされることがただ悲しく感じました」
除去という選択肢も
さまざまな経験を経て、相川氏はタトゥーをこのように捉えている。
「自分ひとりで生きていく場合には、何ら支障はないでしょう。着たい服を着るように、どこに墨を入れても基本的には問題ないと思います。
ただ、結婚したり、あるいは母親になって社会的な関係性が新たに構築されるときには、間違いなく足枷になります。実際、私はタトゥーを消そうと思いました。今の私にとって最も大切なのは子どもで、私のタトゥーが原因で彼が不利益に扱われるのが心苦しかったからです。皮膚科のカウンセリングに行ったところ、100万円前後の費用がかかり、治療期間は数年間に及ぶと聞きました。
悩んだ結果、タトゥー除去にかかる費用や期間を、そのまま子育てのために使ったほうが賢明だなと私は判断しました。ただ、その人の職場環境や地域性などによって、除去という選択肢も大いにあると思います。タトゥーを入れるとき、安易に入れたわけではない私ですら、このような悩みにぶち当たるんです」
得も言われぬ葛藤に心がかき乱されるとき、自らの身体に消えない誓いを刻むことで、ふっと前向きになれる人もいる。だが、当人にとって深い意味合いを持つ印が、他人には威圧の象徴でしかなく、嫌悪の対象になることだってある。
誰もが“自分ごと”にしか関心がなく、他人をぱっと見の印象で篩にかける忙しない世の中では、その背景に手を伸ばして考えようとするゆとりは生まれない。もともと孤立を深め、墨を身体に纏うことで救われた人たちにとって、タトゥーが安寧を再び奪う呪詛にならないことを心から願う。
(黒島 暁生)