1992年2月に中国が尖閣諸島(沖縄県)を自国領とする「領海法」を制定した際、日本政府が政治問題化させないよう抑制的に対応していたことが、20日に公開された外交文書で明らかになった。中国は近年、同法に基づき尖閣周辺で中国公船の活動を活発化させており、当時の対応の是非が改めて注目されそうだ。
中国は92年2月25日、全国人民代表大会(全人代=国会)で尖閣諸島を中国の「領土」と明記し、領海侵入に対して「必要なあらゆる措置を取る」などと盛り込んだ領海法を制定した。
当時、日中両国は10月の天皇陛下(現在の上皇さま)訪中に向けて調整している最中だった。中国側の訪中の呼びかけに対し、日本政府も「日中国交正常化20周年の節目に戦後のけじめをつける」として実現を模索していただけに、小和田恒外務次官(皇后雅子さまの父)が抗議。しかし、中国側が「従来の立場(「棚上げ方式」)を変えるものではない」などと説明したことから、外交問題には発展させなかった。
それでも、同法制定は日本国内で強い反発を招き、政府内では天皇訪中交渉に支障が出ることへの懸念が高まった。橋本 恕 駐中国大使は4月1日、天皇訪中前後の半年間、「問題を休眠させるよう」中国側に提案する考えを宮沢喜一首相に伝えた。
同6日には宮沢氏が訪日した 江沢民 ・中国共産党総書記と会談したが、天皇訪中の結論は出なかった。事態を重く見た渡辺美智雄外相は、翌7日に銭外相と急きょ、外務省飯倉公館で秘密会談に及び、同法制定で天皇訪中交渉は「水を差される格好となった」と苦言を呈した。そのうえで、橋本氏が発案した天皇訪中前後の“冷却期間”の設置を銭氏に打診。銭氏は了承し、結果的に10月の天皇訪中は成功裏に終わった。
ただ、そもそも同法の制定は、中国自身が主張した「棚上げ方式」に反したものだ。天皇訪中を失敗させられない日本側の足元を見るかのように制定した同法は、2008年12月に中国公船が尖閣諸島の領海内に侵入して以来、中国が常態化させている領海侵入の根拠となっている。
08年に領海侵入したのは中国国家海洋局の「海監総隊」の船「海監」で、当時の総隊副隊長は中国紙に「(尖閣を)実効支配しているかどうかを示す必要がある」と述べている。中国はこれ以降、パトロールと称して公船の領海侵入を繰り返し、一方的な現状変更の試みを続けている。
笹川平和財団の小原凡司上席フェローは、当時の日本政府の対応について、「中国でも民主化が進み、実力による現状変更の試みは回避できると期待したのだろう」と分析する。「今顧みれば、権威主義国家の中国を見誤っていた」と指摘する一方、「天皇訪中は日中間の象徴的なイベントで、日本側から取りやめるわけにはいかなかった」と、訪中実現は評価している。
◆棚上げ方式=1978年の日中平和友好条約交渉などで、日中両国が尖閣諸島の領有権問題に決着をつけることを「棚上げする」ことで合意したとする中国の主張を指す。日本政府は合意を否定している。