遺族「誠意感じられず怒り」 涙ながら意見陳述 那須雪崩公判

栃木県那須町の茶臼岳で2017年3月、大田原高の生徒ら8人が死亡した雪崩事故で、業務上過失致死傷罪に問われた3被告の第16回公判が19日、宇都宮地裁(滝岡俊文裁判長)で開かれた。被害者参加制度で裁判を傍聴してきた遺族のうち6遺族7人が、3被告を前に涙ながらに意見陳述した。【面川美栄、鴨田玲奈】
厳しい処罰、望む
在宅起訴されているのは引率教諭だった猪瀬修一(57)▽菅又久雄(55)▽渡辺浩典(60)――の3被告。
最初に証言台に立ったのは、次男の鏑木悠輔さん(当時17歳)を亡くした母恵理さん(56)。意見陳述の冒頭で、「私は3人の被告人がとても憎いです」と怒りをあらわにした。事故後「我が家の太陽は私たち家族の前から姿を消し、家の中は病人だらけの暗い家族へと変化してしまった」と語り、裁判長に「反省の気持ちが彼らに持てるような、法律の許す限りの重い量刑を望みます」と訴えた。
長男の佐藤宏祐さん(当時16歳)を亡くした父政充さん(54)は、昨年10月の初公判で3被告の無罪主張を聞き「遺族の思いを踏みにじり、全く誠意が感じられず、非常に不愉快で強い怒りを感じる。私の心情を逆なでし、心が穏やかになることはない」と述べた。
また、猪瀬被告を慕っていた宏祐さんから聞いた同被告とのエピソードを紹介し、「公判での言動は、宏祐の猪瀬被告に対する思いを踏みにじるもので、とても残念。犠牲者8人に顔向けができる、事故前の生徒から尊敬されていた猪瀬教諭に戻ってほしい」と願った。猪瀬被告は終始目をつぶり、うなだれていた。
長男の浅井譲さん(当時17歳)を亡くした母道子さん(58)は事故後、大田原高山岳部に同行し、これまで計14回、山を登ってきた。安全第一で活動を続けていることを話し、「今はただ、譲が山でどんな景色を見てどんなことを仲間や顧問の先生と話し、充実した時間を過ごしていたのかを知りたいと願うだけ。どうか現実を直視してお話しください。そしていつか山でお話を聞かせてください」と訴えた。
長男の奥公輝さん(当時16歳)を亡くした父勝さん(52)はこれまでの公判を振り返り「客観的証拠に反する道理に合わない話ばかり。どれだけ息子らをバカにし、遺族を苦しめれば気が済むのか」と声を震わせた。事故後の対応についても「真摯(しんし)な対応とは言いがたく、私たちの気力や体力を消耗させ精神を破壊するには十分過ぎる、気遣いのない対応。私たち家族の未来や時間を返してほしい」と陳述した。
山岳部の第3顧問だった教諭の毛塚優甫さん(当時29歳)を亡くした母愛子さん(66)は、「『苦しみをお母さんが代わってやれなくてごめんね』と毎日話しかけ、6年以上涙のない日はありません」と述べた。
父辰幸さん(71)は「8人の命を救えたのは、猪瀬、菅又、渡辺の3人しかいない。そのことを真剣に考えれば、自分たちに何が足りず、どう判断し、行動すれば良かったか、自ら気付くはず」と語気を強めた。「非を認めようとしない被告人に対し、優甫や7人の生徒の命の意味と向き合い、反省するように、生徒と優甫に過失がなかったことを明らかにした上で、厳しい処罰をお願いします」と裁判長に求めた。
次男の高瀬淳生さん(当時16歳)を失った母晶子さん(57)は「家で1人で陳述書を書いている私の気持ちが分かりますか」と3被告に向かい訴えた。「事故と向き合おうとせず、反省もしない、遺族の心をないがしろにする被告人らを到底許すことはできません。でも、こんなことは言いたくなかった。本当に言いたくなかった」と涙を流しながら繰り返し、厳罰を望んだ。菅又被告は遺族と目を合わせながらメモを取り続け、渡辺被告は顔色一つ変えずに聞いていた。
閉廷後、奥勝さんは取材に「裁判所の方には私たちの思いが十分伝わったと感じたが、3被告には自分の罪を悔いているような様子は全く見られず、伝わっていないと思った」と感想を述べた。判決に関して「学校安全に対する(これまでの対応に)くさびを打つ判決になることを期待している」と語った。
来年2月29日の次回公判で論告求刑と最終弁論が行われ、結審する予定。

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