証拠の矛盾を暴いたネガ 「父ちゃんの人生って何やったんやろ」 獄中死した元受刑者遺族の思い

さびてくすんだ郵便受けには、39年前に殺害された主の名前が書かれたままだ。外壁はところどころがれ落ち、今では見かけなくなった国産ワインの看板が、過ぎ去った時の長さを思わせる。
滋賀県南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する日野町(ひのちょう)。その住宅街の一角にある「ホームラン酒店」で昭和59年12月28日、事件が起きた。経営者の女性=当時(69)=の行方が分からなくなり、翌年1月18日、雑草が生い茂る同町内の分譲用の宅地で、両手を緊縛された遺体が遺棄されているのが見つかった。
犯人とされたのは、酒店の常連客だった地元の工員、阪原弘(ひろむ)元受刑者。「酒代欲しさ」に店主を殺害し、金庫を奪ったと自白して逮捕され、強盗殺人罪で無期懲役が確定。平成23年に服役中に病死した。75歳だった。
もっとも自白内容を巡っては1審段階から「いかに酒好きとはいえ、一般常識に照らせば論理に飛躍がある」と信用性が否定された。弁護側は刑事に虚偽の自白を強要されたと主張したが、この点は認められなかった。
確定判決は、もっぱら間接証拠から有罪を認定したが、遺族が引き継いだ再審請求で30年、大津地裁が再審開始を決定。大阪高裁も今年2月にこれを支持し「死後再審」に扉を開いた。検察側が最高裁に特別抗告し、なお審理が続く。
「正解」誘導排除せず
遺体発見現場は今も空き地になっていた。ここに元受刑者を伴い、遺棄場所を正確に再現できるかどうかを検証する「引き当て捜査」が行われたのは、逮捕から間もない昭和63年3月29日のことだった。
「うわあ、だいぶ草が伸びて変わっているな」
当時の捜査報告書などによると、現場に立った元受刑者は、遺体に見立てた重さ約10キロのマネキン人形を両腕に抱えながら、そうひとりごちた。それから分譲地の草むらに分け入り、周囲を見回した上で「刑事さん、ここですわ」と指示した。実際に遺体が見つかった場所とほぼ一致していた。
「そんなところ違うやろが」「場所どこや、こっちと違うか」
弁護側は別の事実を主張した。元受刑者がマネキン人形を間違った場所に置くたび、刑事たちがあちこちから口を挟み、「正解」に誘導した、と訴えたのだ。
確定判決は、検察官も現場に同行していたことから、刑事の誘導などは「考えられない」と否定。元受刑者がほぼ正確に遺棄場所を指示したことを、犯人性を推認させる間接事実の柱に位置付けた。
こうした証拠構造に風穴を開けたのが、引き当て捜査の様子を撮った写真のネガフィルム。再審請求の段階で裁判所が開示を命じ、検察側が初めて提出したものだった。
ネガを撮影順に見ると、元受刑者が遺体発見現場で人形を持っている場面と、持たずに再現しているような場面が、交互に繰り返されていた。
捜査報告書にあるような、スムーズな再現が行われたわけではなく、実際はかなりの手間と時間を要したはずだ-。今年2月27日の大阪高裁決定はそう指摘。弁護側が1審から訴えてきた刑事らによる誘導の可能性も排除しなかった。
段ボール2箱の私物
高裁決定が出る直前の2月中旬、元受刑者の長男、弘次さん(62)の自宅を訪ねた。
仏間に置かれていたのは段ボール。手紙や衣類など刑務所から返却された元受刑者の私物だ。
数にしてわずか2箱。「父ちゃんの人生って何やったんやろ」。家族はその2箱に胸を締めつけられた。「悲しすぎて、まだ中を見られない」
高裁決定は1審段階からネガが開示されていれば「(確定判決が)異なる判断となった可能性は否定しがたい」とも述べている。
膨大な証拠を抱え、それを取捨選択できる検察。弘次さんは不公平を感じずにいられない。
高裁も再審を支持したその日、弘次さんは決定文を空に向けて掲げた。「一日でも早く再審を開始し、無罪を確定させてほしい。家族そろって墓前に報告するのが今の願いです」(地主明世)

令和5(2023)年も残りわずか。世間の注目を集めた関西発の事件・話題を振り返る。

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