小中学校の先生や塾講師などによる子どもへの性犯罪が後を絶たない。そんななか、子どもと接する職に就こうとする人物の性犯罪歴を確認できる制度「日本版DBS」が、なかなか導入されないワケとは? 教育行政学などを専門としている日本大学教授・末冨芳氏に聞いた。
早急な対応が求められているのに…動きが遅い事情
「DBS」(Disclosure and Barring Service)とは、子どもと接する職に就く人物の性犯罪歴を確認できるイギリスで導入されている制度だ。その「日本版DBS」が2023年10月の臨時国会で法案提出される見込みだったのだが、加藤鮎子こども政策担当相は提出を見送る決断を下した。しかし、今年も子どもへの性犯罪が相次いで報じられているのが現実だ。
8月には集英社オンラインニュース班がスクープした四谷大塚の塾講師が生徒を盗撮していたショッキングな事件(スクープの詳細はこちら)や、9月には東京都の中学校校長が元教え子のわいせつ画像所持や性的暴行を加えたとして逮捕された事件、10月にも福井県の小学校の教諭が女児の帽子に体液をかけたという事件などが、全国各地で起きている。
このように、子どもたちが犠牲となる事件が起き続けているにもかかわらず、なぜすぐに日本版DBSを導入することができないのか。日本大学教授の末冨芳氏に解説してもらった。「結論から言うと、できるだけ早い導入が望まれる状況ではあるものの、加害者側の人権問題など慎重に検討・議論しなくてはいけない要素が整理されつくせなかったため、今秋の臨時国会では法案提出が見送られてしまったのです。日本版DBSには大きく分けると3つの課題があります。1つ目はどこまでの事業者に義務づけるべきかということ。2つ目は犯罪歴を照会できる期間はどうするのかということ。3つ目は条例違反や不起訴処分への対応はどうするのかということ。スピード感が求められているとはいえ、この3つの課題をいい加減に決定することもできないのです」(末冨氏、以下同)
課題が山積み? 議論・検討しなくてはいけない3要素
1つ目の、どこまでの事業者にDBSを義務付けるべきかどうかというのは、どういう問題なのか。「DBSの適用範囲に関してですが、学校や幼稚園・保育園以外にも子どもとかかわる場は多岐に渡ります。例えば、学習塾やスイミングスクールなどの習い事の場や、フリースクールやこども食堂、サマーキャンプといった子どもを支援する場などです。過去にはキャンプやフリースクールで子どもへの性暴力事件が起きた事例もあるので、そうした場も含めて導入をどうするのか検討する必要があります。けれど現在の法案は、学校や幼稚園・保育園は犯罪歴の照会が義務化されることになっていますが、学習塾やスイミングスクールなどは任意となっており、義務化の対象範囲が狭すぎるという批判があるのです」
では2つ目の、犯罪歴を照会できる期間についてはどういった課題が残っているのだろう。「日本の刑法では刑の執行終了から一定期間過ぎると、社会復帰を促すために犯罪者は前科のない者と同様の扱いになります。その一定期間が過ぎた後も、DBS上にデータを残すのかどうかという課題があるのです。DBSが犯罪者の職業選択を狭めてしまうのではないかという危惧があり、社会復帰のためには犯歴を照会できる期間の上限を設けるべきだという意見があります。一方、イギリスのDBSでは継続的にデータが残るようになっています。犯罪記録を残し続けることで加害者の再犯の支援や、抑止力になるという考え方で、結果的に犯罪者やその家族の利益にもなるという視点があるからです。ですが、日本ではこの点の議論がまだあまり進んでいません」
そして3つ目となる条例違反や不起訴処分への対応が、末冨氏いわく一番重要とのこと。「今回、提出される予定だった法案では、起訴された犯罪者をDBSに記録するというものでしたが、仮に起訴された犯罪者しかDBSに載らないとしたら、実質的にかなり抜け穴だらけのデータベースになってしまうでしょう。実は現在わいせつ事件で処分される教員の約8~9割が刑法で裁かれているのではなく、条例違反のレベルにとどまっているのです。犯罪として起訴しようとすると、子どもの証言能力が十分ではなかったり、被害者当事者や家族が二次被害者捜査に耐えられなかったりするため、多くのケースで不起訴や示談になっています。当然そういった条例違反や不起訴の事件の加害者を野放しにしないためにも、DBSには記録するべきということで、今回の法案には与党内から反対の声が相次ぎ、提出が見送りになったという経緯もあります」
性犯罪者のプライバシーどこまで守られるべきなのか?
ほかにも、現時点での日本版DBSの法案は、どういった罪を犯したのかという犯歴の内容が職場に共有されてしまうようになっているが、末冨氏はこれには反対だという。「犯罪者側のプライバシーに関する懸念や、職場側が被るリスクの懸念があるためです。特に後者は、学校や幼稚園などが犯歴を把握したうえで、あなたは採用できませんといった通知をしなくてはいけなくなるので、職場側が逆恨みなどの恐怖を感じることもあるでしょう。再犯を防止するという意味ならば、性犯罪の犯歴が無いことだけが証明されれば十分なはず。イギリスのように政府管轄の機関が、無犯罪であることの証明書を発行するという形ではなく、犯歴の内容まで漏れてしまうことになれば、犯罪者のプライバシー問題だけでなく、子どもにかかわる職場などにおいて混乱が生まれる可能性があります」
最後に末冨氏は、日本版DBS導入においてはもっと被害者側の視点で議論されるべきだと語る。「犯罪者の職業選択の自由やプライバシーの問題も大事ではありますが、やはり被害に遭った子どもたちや家族を守り、またこれから被害に遭う子どもたちをいかに減らし、守っていけるようにできるかと考えることが重要です。抜け穴だらけでは意味がありません。子どもの性被害をこれ以上増やさないため、子どもを守り切れるように改善したうえで、日本版DBSは導入する必要があるのです」取材・文/瑠璃光丸凪/A4studio 写真/shutterstock