世界平和統一家庭連合の那覇家庭教会は、那覇市内の住宅地の中にあった。
車がようやくすれ違うことができるほど狭い路地にある、コンクリート造りの白い建物で築年数はかなり古そうだ。周囲にある沖縄特有のコンクリート住宅に溶け込んで違和感がない。
その正面入口に入ると、15畳ほどの広さのロビーがあって、椅子やテーブルが並んでいる。壁には韓鶴子総裁のポスターや教団関連団体のイベント告知なども貼られていた。それらを横目にエレベーターで2階に上がると、そこにはかなり広いホールがあって長テーブルや椅子が並べられている。
このホールを私が訪れた日、室内は重い空気に包まれていた。
「マスコミは被害を訴える一部の人たちの主張だけを取り上げて、私たちがこれまで受けてきた拉致監禁などの被害には一切触れていない。そして、我々が詐欺をやっているような偏った報道ばかりです。こういう明らかに事実と異なるデマをやりたい放題やらせていて、本部はいいんですか?」
「私は学生の頃からいろんな選挙を朝から晩まで手伝ってきました。自民党の先生もたくさん応援してきて、よく知ってますよ。それなのにあの事件以降、みんな私たちとは関係がないなどと言っている。我が身がかわいいというのはわかりますが、やはり青春時代から50年以上も信仰を捧げてきた教会ですから、この裏切りは本当に悔しいですよ。そういう我々の気持ちは、本部はわかってくれているんですか?」
集まった信者たちが、東京の教会本部からやってきた職員に対して、「悔しさ」や「不満」をぶつけていたのだ。
この日、那覇家庭教会では「壮年部」の集会があった。この地域にいる旧統一教会信者の中で30代から70代の男性信者たちによって編成されているもので、地域のボランティアなどさまざまな活動をしている。
そんな壮年部の集会に、本部職員が参加して今のマスコミの報道や岸田政権の対応についての説明をした。その後の「質疑応答」で、信者たちが抱えていた「思い」を吐露し始めたというわけだ。
20人ほどの男性信者たちの、さまざまな感情を黙って受け止めていた本部職員は、眼鏡をかけて髪をオールバックにセットしている紳士然とした70代の細身の男性だった。彼は一通り信者たちの意見に耳を傾けた後で、穏やかな口調でゆっくりと信者たちに語りかけた。
「これまで信仰に捧げてきたみなさんのお気持ちは、本部としてもよくわかっているつもりです。もちろん、我々としては何もしていないということはありませんし、さすがにこれは看過できないという事実誤認には抗議もしていますし、弁護士先生の協力のもと、名誉毀損(きそん)での訴訟もしています。しかし、マスコミはどんなに私たちがそのような反論をしても、違うんだということを訴えても取り上げてはくれないんです」
ホール内に深いため息が漏れる。腕を組んで険しい顔をしている人もいれば、納得がいかないという感じで「そんなバカな話があるのか」と呟く人もいれば、「信教の自由はないのか」と声を上げる人もいた。
厳しい現実に打ちひしがれる人たちの姿を、ホールの壁側から見ていてちょっと意外だった。マスコミ報道や教団問題を扱う弁護士やジャーナリストらの話に登場する旧統一教会の信者というのは、「韓鶴子総裁から洗脳されて自分の意志も関係なく操られる人々」である。
自分自身の頭で何かを考えたり、マスコミ報道や政治に対して心が乱されることもなく、「真のお母様」である韓鶴子総裁だけを信じて、教会本部の指示に素直に従って、霊感商法したり自民党議員の選挙の応援をする人々だ、というイメージが広がっている。
しかし、私の目の前にいる信者はそうではない。自分の頭で考えてさまざまな葛藤を抱えて、社会から理解をされないことに悔しさをにじませて、中には教会本部の対応に不満を感じている人もいる。なんというか、非常に「人間臭い」のである。
信者への説明を終えて本部職員の男性が、その場を離れて、ホールの壁側にいた私の方にやってきた。「お疲れ様でした。みなさんかなり思うところがあるんですね」と労をねぎらうと、男性はにっこりと微笑んで言った。
「この1年半、みなさんは本当にいろいろな厳しい目にあってきましたからね。中には、本部の対応に不満がある人もいます。まあ、田中会長を前にしたら、みなさんさすがにあまり厳しいことを言わないでしょうが、私のような下っ端ならばみなさんも安心して“この野郎、もっとしっかりやれ”なんて感じで気軽に言えますでしょ?」
そんな茶目っ気たっぷりなこの男性の名は、鴨野守さん。教団関連の新聞社「世界日報」で記者や編集委員を長く務めた後、教団本部の広報局長を経て、現在はこの夏、富山県で一般社団法人「富山県平和大使協議会」の代表理事をしている人物だ。
そんな鴨野さん、実は教団を追及するジャーナリストや弁護士の間では、ちょっとした“有名人”である。富山県のマスコミなどからは「政界と教団を結ぶキーマン」と目されているのだ。富山のJNN系列のテレビ局「チューリップテレビ」の報道がわかりやすい。
「政界との接点になった人物が取材で判明しました。県平和大使協議会の事務局長、鴨野守氏。富山県出身、世界平和統一家庭連合の広報局長を務めた幹部の1人で知事選で新田知事の選挙応援を担った中心人物です」(チューリップテレビ 2022年8月8日)
ちなみに、チューリップテレビでは、この新田八朗・現知事が当選をした時、選挙事務所に鴨野さんがいて知事と喜び合っている映像を流すとともに、2021年4月の富山市長選、同年7月の高岡市長選でも選挙事務所に鴨野さんがいて勝利を喜んでいる姿を放映して、地方選挙を3連勝に導いた「富山政界に暗躍する旧統一教会フィクサー」だと言わんばかりに取り上げ放題だ。
「映像を何度も見返して私を見つけたのは素直にご苦労さまと言いたいですが、ここにもいる、あそこにもいるという感じで、この鴨野というのは裏で暗躍するとんでもない人間だという印象を視聴者に与えて、ちょっと悪意を感じるような編集ですよね」
そう自嘲気味に笑う鴨野さんを、私は個人的に「すごい人」だと思っている。もちろん、信仰については共感できないし、政治思想や主義主張も異なる部分は多い。ただ、「選挙」というものを心から愛して、そして純粋に楽しんでいるところが、素直に尊敬できるのだ。
そう聞くと、「それは選挙が好きなのではなく、教団の政界工作のために必要だとマインドコントロールされているだけだろ」と冷めた見方をする読者もいるかもしれない。
しかし、私もかれこれ25年以上、政治や選挙の取材をしてきたので、そのあたりの違いくらいはわかる。実際に、選挙の事務所の中に入って、ボランティアとして選挙運動に関わったり、支援者として応援をした経験のある人ならばわかるだろうが、選挙というのは、実は血湧き肉躍る「お祭り」のようなところがあって、その魅力の虜になる人がいる。
もちろん、選挙を手伝う人たちにはそれぞれ「目的」がある。単純に候補者が友人や知人ということもあれば、目指す政策を実現するためということもある。また、自分が所属している団体が応援しているので「仕事」として応援をするというケースもある。
鴨野さんも教団の関連団体として応援しているわけだが、そういう「立場」を超えて「選挙」というものが基本的に好きだということは、しゃべっていればわかる。政治や政党の動きなどについて、意見交換をする時も、少年のように目を輝かせている。もともと、新聞記者ということもあるのかもしれないが基本的に「政治」が好きなのだ。
そんな鴨野さんからある時、旧統一教会の選挙応援について話を伺ったことがある。
「選挙はやはり後援会の名簿づくりですよ。自民党を支持する宗教団体が多い中で、なぜ私たちがいろいろな政治家の先生から頼りにされるのかというのは、この名簿づくりひとつとっても違うからです」
マスコミはあまり報道をしないが、「自民党との蜜月」は旧統一教会だけではない。創価学会はもちろん、神道政治連盟という神道系の政治団体もあるので、神社はもちろん、その候補者の選挙区内にある寺、新興宗教などあらゆる団体が、自民党候補者の選挙事務所に「ボランティア」を送り込むのだ。
では、このように「宗教団体の呉越同舟」という状況の中で、なぜ旧統一教会ばかりが自民党との関係が注目をされるのかというと、頭ひとつ抜けた「応援ぶり」だからだというのだ。
「例えば、ある団体の選挙ボランティアは100人の名簿をつくったとしたら、その間に我々は300人分の名簿をつくる。組織力とか動員力でそれを達成するのではなく、本当に一人ひとりが朝から晩までかけ回って頑張るんですよ。候補者からすれば、自分のためにこんなに頑張ってくれるなんてと感動をしますよね。そこに加えて、私たちは誠心誠意でその候補者を応援します。例えば、ある候補者の先生は教会まできてくれたので、私たちみんなで歌などでお迎えして、頑張ってくださいとエールを送りました。すると、その先生は涙を流して喜んで、“こんな素晴らしい宗教団体とこれまで出会ったことがない”とまで言ってくださいました」
そのように語っていた鴨野さんだけに、安倍元首相の銃撃事件後、岸田首相が「関係断絶」を宣言して、多くの自民党議員が手のひら返しで「教団とは知らなかった」「もう関係をもたない」などと言い始めたことはショックだった。
その複雑な思いについては、チューリップテレビから「政界と教団をつなぐキーマン」と追及された時に受けた「単独インタビュー」でも吐露している。
「私たちが選挙の時に自民党が推薦をしなかった知事(候補者)とか、ほかの市長(選)でも自民党が推薦しなかった市長候補、そうした先生方を応援してまいりました。そういう先生方から関係を切ると言われて。まあ私は、失恋と失業と一緒に味わっているような非常に残念な気持ちであります」(チューリップテレビ 22年9月28日)
この言葉に象徴されるように、鴨野さんにとって「選挙」とは教団関連団体代表理事という仕事的な立場だけではなく、「恋」のように無償で情熱を傾けられるものだったのだろう。
———-
———-
(ノンフィクションライター 窪田 順生)