大地震に見舞われた能登半島の各地には、がれきの中でまだ救助を待つ人がいる。4日夕、生存率が大幅に低下するとされる最初の揺れから72時間が経過。道路が寸断され、救助用重機や支援物資の調達がままならない中、非情にも時間だけが過ぎていく。
石川県によると、4日午後3時時点で371カ所の避難所に計約3万3500人が避難している。一部地域では食料などの搬入が始まったが、基幹道路の国道249号をはじめ陥没やひび割れで道路網が寸断、被害の大きかった輪島市や珠洲市を中心に物資が届いていないところも多い。輪島、珠洲、七尾、穴水、能登の5市町では孤立集落も生じている。被災者らは寒さや空腹に耐えながら、支援を待っている。
「もう少しで食料が尽きそうだ」。珠洲市立飯田小学校に避難している公務員の男性(25)は窮状を訴える。指定避難所となっている同小には1日、収容可能人数を大幅に上回る約800人が押し寄せた。土砂崩れで体育館の一部が損壊し、被災者は教室や職員室で寝泊まりしているという。
男性によると、同校には非常用のご飯や水など大量の備蓄があったが、想定以上の避難者が集まったため、大半が初日でなくなった。現在は残った菓子パンを少しずつ分け合っているが、4日夜にも底を突くという。
男性は「被災者の多くは自宅が倒壊して避難生活の長期化が見込まれる。市に支援を求めているが物資は届かず、自転車操業状態だ。早急に食料と水がほしい」と話した。
能登町立鵜川小学校に身を寄せる大学生、馬場なつみさん(21)は「飲み物や食料、温かいものが足りていない」と訴える。兵庫県から町内の実家に帰省中に被災し、スマートフォンだけを持って避難してきた。被災当日は全く食べられず、2日以降は1日2回配られる小さなおにぎりと二口ほどのスープでしのぐ。一時は約300人が避難し、中には食料が行き渡らず、被災した自宅に戻る人もいたという。
避難所の掲示板には、毛布やご飯、カイロなど必要な物が次々と書き出された。避難者の8割近くが高齢者だといい、硬い床や段ボールの上での生活を余儀なくされている。馬場さんは「常備薬が尽きてお年寄りの病状が悪化したり、栄養不足になったりしないか心配だ」と案じた。
珠洲市野々江町の県立飯田高校も物資が不足し、被災者が備蓄の乾パンをかじるなどして食いつないでいる。避難中の男性(55)によると、近くのスーパーには店を囲むように行列ができ、商品棚からはレトルト食品や水がなくなった。2日には自衛隊が高校近くまで到着したが、周辺の道路が陥没して給水車が通れなかったという。
関西広域連合は4日、石川県庁内に現地支援本部を設置し、被災自治体ごとにカウンターパートとなる府県を決めて、被災者支援に当たる方針を決めた。現地に派遣している連絡員からの情報を基に、連合が窓口となって加盟府県に支援を依頼し、各府県は担当の被災自治体に順次、必要な物資を送る。
広域防災担当の斎藤元彦・兵庫県知事はこの日の会議後、報道陣の取材に「ブルーシートや水、簡易トイレなど、どこに何を送るべきか、既に走り出している府県もある。国の動きとも連動しながら(支援の)太いパイプを作っていきたい」と話した。【郡悠介、斉藤朋恵、高木香奈、戸田紗友莉】