私人逮捕なぜ称賛?真山仁さん 背景に「何言ってもダメな社会」

犯罪と決めつけて他人を拘束する。こうした動画を投稿していた「私人逮捕系」と呼ばれるユーチューバーたちは、一部で「正義の味方」のように受け止められていた。何が彼らを突き動かしたのか。経済小説「ハゲタカ」などの著作で知られる小説家の真山仁さん(61)は社会に広がる閉塞(へいそく)感との関連を指摘する。
――社会の閉塞感を実感する場面はありますか。
◆象徴的なのは政治です。自民党が安倍派(清和政策研究会)などのパーティー券問題で揺れていますが、テレビのニュース番組で街の人の意見を取り上げているのを見ると、誰も怒っていないのが印象的です。ロッキード事件のときのような怒りが国民から出てこない。あきらめてしまっているのです。
――なぜ怒らないのでしょうか。
◆要因の一つは自民党が政権を取り戻した後、安倍政権が8年も続いたことです。安倍晋三元首相は自分より年長者を重要閣僚に据え続けました。首相候補や派閥の後継者になるような若手が台頭しないようつぶしてきたように見えます。その結果、「変わらない社会」ができてしまいました。安泰な安倍政権を批判するのは踏み絵を迫られているようでした。アベノミクスは経営者から評価され、異を唱えたら非国民のように扱われたのです。そうした時代が続いたことで「何を言ってもダメだろう」という空気に支配され、国民から怒りが出てこなくなった。これが今の閉塞感を生む一因だと思います。
――こうした中、ユーチューバーによる私人逮捕が注目を集めました。変わらない社会を変えてくれる存在として夢中になって応援した人もいました。
◆私人逮捕系ユーチューバーは自分を正義の味方のように思っていたのかもしれません。称賛した人も、仮面ライダーやウルトラマンのように法を超えて正義を演じてくれることが快感だったのでしょう。しかし、逮捕は強制的に身体を拘束するものです。誤って行使された人は一生を棒に振る可能性もある。逮捕権を一般の人が自在に使うとリンチになる恐れもあるのです。本来なら「私人逮捕はおかしい、偏った発想だ」と分からなければいけないのに、それができない。法治国家に生きているという意識すらも希薄になっているように感じます。
――こうした風潮が強まっている要因は何でしょう。
◆他の人と議論しない「自問自答」型の増加が背景にあるのではと思っています。自分に足りないところがあるから人の話を聞いたうえで答えを出そうとすればよいのですが、「どうせ私なんか」とコミュニケーションを打ち切る人もいます。新型コロナウイルスの流行で、他者とのリアルな交流が減りました。孤独感や疎外感は増し、自問自答による遮断がさらに加速しています。本来は社会の目を意識したり他者と会話したりすることで、「やりすぎじゃないの」と冷静になれるはずなのに、そうした場が減ったことで歯止めがきかない。社会と自ら距離を置く人が増え、一人一人の存在が点のようになっています。その結果、個人が社会性を失い、私人逮捕を称賛したのではないでしょうか。
――情報過多の時代、私たちはどう向き合ったらいいでしょうか。
◆情報や雑音があまりにも多くなり過ぎたときに遮断することはあります。苦しいときは良いことだと思います。ただ、それはイレギュラーだと思ってほしい。完全に遮断してしまっては生きていけない。自己否定されるから人の話は聞かないというミュートは健全ではありません。耳を塞ぐだけではなく、自分がどの程度なら耐えられるかを考えることが大事だと思います。【聞き手・安藤いく子】
まやま・じん
1962年、大阪府生まれ。新聞記者などを経て、2004年に「ハゲタカ」で小説家デビュー。東京地検特捜部の事件を追った「ロッキード」(文芸春秋)などノンフィクションも手掛ける。近著は、エネルギー利権を巡る策謀を描いた小説「ブレイク」(KADOKAWA)。

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