元日の能登半島地震による土砂崩れで、石川県穴水町由比ケ丘地区などでは、複数の住宅が巻き込まれ、帰省中の家族を含む16人が亡くなった。昨年まで地元の消防団に所属し、連日の捜索活動に加わった米田直樹さん(70)は「何とか1人でも助けたかった」と振り返る。現場には今も土砂に埋もれたままの家屋が残っている。
1日午後4時過ぎ、地震とほぼ同時に発生したとみられる由比ケ丘地区と川島地区の土砂崩れ。2階建ての民家をなぎ倒すと、道路を挟んだ向かいの民家に達し、住民らをのみ込んだ。現場からは8日までの連日の捜索で、8歳や11歳の子供を含む計16人の遺体が見つかった。
米田さんは20代半ばに穴水町消防団に入り、40年以上にわたって火災や行方不明者の捜索などに対応。副団長も10年務め、昨年3月に消防団を退いた。今回の地震後に町内で避難中に土砂崩れの話を聞き、消防団OBとして2日の捜索初日から現場に駆け付けた。
一帯には大量の土砂が積み上がり、巻き込まれた家や車が流されていた。「人間の死はたくさん見てきたが、土砂崩れでこれほどの惨状は初めて」と語る。他地域からも多くの消防隊員が駆け付けており、土地勘を生かして助言したり、ぬかるむ土砂の上で重機を操縦したりした。
「早く出してあげたい」-。捜索を見守る家族らのことを考えると、その思いは強くなる一方だった。途中、何度も大きな余震があり、その度に「逃げてください」との声が響いた。重機に乗っていた米田さんも逃げたが、「(余震で土砂が)流れたら自分も死ぬだけ」と覚悟した。
しかし、懸命の捜索もむなしく、発見されるのは遺体ばかり。「折り重なって逃げようとした瞬間、間髪入れずに土砂で流され、生き埋めになったという感じだった」。沈痛な面持ちで当時を振り返る。
穴水町での犠牲者20人のうち16人が、土砂崩れの現場から見つかった。「消防団魂でやったが…」。現場から生存者を一人も救い出せなかったことに、米田さんは落胆した。(山本玲)