「気持ちの整理ができるのはまだ先」地震発生72時間超で“奇跡の救出”も・・・89歳女性の容態急変し死亡 長時間の圧迫による「クラッシュ症候群」で多臓器不全に

各地に甚大な被害をもたらした能登半島地震の発生からまもなく3週間。犠牲者の数は200人を超える中、母を失ったある男性が今の苦しい胸の内を明かしました。
「慌ただしい2週間でしたね。葬儀もあったり」「気持ちの整理ができたかというと整理はできてなくて、まだ何が起きたんだろうって」
――「奇跡の救出劇」。
その現場となった実家に19日も足を運ぶ男性。外武志さん(60)です。
「(自宅は)築50年くらいです。私が小学4年生くらいかな。10歳くらい」
思い出の詰まった家は1階部分が押し潰され、今は見る影もありません。
――「女性が生きている」。
半ば諦めかけていた中での突然の知らせに安堵したあの日…。それは地震発生から72時間を過ぎた4日夕方のことでした。
大阪市消防局による懸命な捜索活動が行われ、救出されたのは武志さんの母・節子さん(89)。隊員の呼びかけにも応じていてその後、市内の病院に搬送されました。
その翌日、地震発生後、初めて現場に訪れた武志さん、涙があふれます。
「母親は救助されたんですけど、弟が・・・弟が母をかばって・・・」「消防と電話で話したときには、母親が助けられたときはかなり低体温だったんだけど、弟が一緒にそばにいて、その体温で低体温が防げたのではと」
自衛隊員だった弟の忠司さん。3年ほど前に退官して以降、1人暮らしの母を支えるため輪島に戻っていました。
「確か阪神大震災の時だったと思うんですが、部隊の方に連絡して聞いたら出動していると。阪神の時は自分が助けにいった立場だったのが、今回は願いかなわず被災した」
それでも、唯一の救いは母が生きていた事。武志さんにとって大きな心に支えになっていました。
しかし、母の節子さんの容態が急変し、6日未明に亡くなりました。死因は長時間の圧迫で引き起こされる「クラッシュ症候群」による多臓器不全。
武志さんは病院で確かに聞こえた母の声を今も忘れることは出来ません。
「病院でちゃんと声聞いて、温かい手触ってありがたかったです。何も聞けず、ひと言も話さずいなくなるっていうのは寂しいですからね」
「時々ふりかえるんですよね。あのとき、ああしていればとか、こうしてれば違ったのかなって考えて。考えだしたらきりがなくなっちゃうんで、そういうときは次やること考えよって」
「たぶん気持ちの整理ができるのは、まだまだ先なんじゃないですかね」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする