「静かな弔い」かなわぬ遺族 検視や火葬手続きに時間 被災地の現実

能登半島地震の発生から22日で3週間。犠牲者の中には、石川県珠洲市に住む90代と70代の親子もいた。高齢になっても家事や畑仕事をこなす優しい母と、母を思って帰郷したばかりの息子。突然の悲しみの中で遺族に追い打ちをかけているのは、「弔い」すら困難な被災地の厳しい現実だ。
1階部分完全につぶれ
亡くなったのは、珠洲市宝立町鵜飼の船本栄子さん(94)と長男の才一さん(72)。近くに住む次男、悦司さん(68)が地震発生直後、2人の住む家へ様子を見に行くと、1階部分が完全につぶれていた。
家からは4日に栄子さん、5日に才一さんの遺体が見つかった。現場は津波にも襲われ、対面した2人の亡きがらは、ぬれて顔に砂が張りついていた。死因は圧死。「溺死だったら2度苦しんだろう。まだ圧死でよかった」。悦司さんは目を落とした。
高齢になっても自ら耕運機を押してダイコンやネギなどを育てていた栄子さん。孫娘をかわいがり、2日には新年を迎えて顔を合わせるはずだった。地震前日には、悦司さんの妻、淳子さん(67)に「モチとリンゴを用意しておく」と電話で話していたという。
検視ないと移動できず
悲しみに沈む遺族をさらに苦しめたのが、静かに弔うことさえかなわない被災地の現実だ。
2人の遺体は悦司さんの自宅に安置されたが、警察の検視がないと法令上、移動できない。淳子さんが6日、別の検視へ向かう警察官に声をかけてきてもらい、7日に死体検案書を受け取った。
その後も困難は続いた。火葬の手続きは地元の葬儀社に断られた。珠洲市内の斎場は設備が壊れて使用不能。稼働中で最も近い斎場は隣の能登町にあるが、他の犠牲者への対応で受け入れが厳しい状況だった。
葬式ができず心残り
ようやく金沢市内の斎場が縁戚者を受け入れると知り、荼毘(だび)にふすことを決めたが、霊柩(れいきゅう)車を確保できず、レンタカーに遺体を乗せることもできない。悦司さんが知人の建設会社から廃車予定の車を借り、渋滞の中を6時間以上かけて金沢まで運べたのは10日のこと。火葬できたのは、さらに2日後の12日だった。
火葬の遅れは地震後の混乱で仕方ない面もあるが、「当たり前の葬式ができず心残り」(淳子さん)はある。
一家の墓は墓石が倒れるなどしてまだ納骨もできておらず、停電と断水が続く中で2人を弔う。「ありがとう、という言葉しかない」。悦司さんは静かに口にした。(内田優作)

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