被災者を最も悩ませるのはトイレ、汚物処理追いつかず不衛生な状態続く…食事や水を制限する人も

能登半島地震の現地取材班に加わり、今月11~18日、石川県能登町で取材した。崩れ落ちた住宅、陥没した道路――。目の当たりにした被害の爪痕は、想像を超えていた。発生から3週間が過ぎたが、数多くの住民が避難所で厳しい生活を送っている。(足立壮)
11日夜に能登半島北東部にある能登町に入った。金沢市中心部からは約125キロ離れている。普段なら車で約2時間で行けるが、道路はひび割れや土砂崩れで至る所が寸断され、通行可能な道に遠回りしながら進み、約4時間半かかった。
中心部の宇出津地区は、多くの瓦屋根の木造家屋で屋根や壁にブルーシートがかけられ、1階部分が押し潰された家もあった。応急危険度判定で「危険」や「要注意」を意味する赤や黄色の貼り紙も目立つ。
石川県によると、同町では、23日時点で家屋の被害が5000棟、8人が亡くなり、1100人以上が避難所生活を送っている。
同町東部の海沿いでは、津波にも見舞われた。女性(79)の家は海から約100メートルにあり、津波が来たという。夫婦で高台に逃げて無事だったが「住む所がなく、これからどうすればいいのか見当もつかない」とうなだれた。

12日に訪れた町立松波中学校の避難所では約150人が身を寄せていた。発災直後は600人がいたという。
体育館では、床に体操用マットなどを敷き、段ボールの簡易な仕切りで区切ったブースが並ぶ。雪が降る日もあり、ストーブはあっても室内でも冷え込む。プライバシーへの配慮が十分ではない中、被災者らは毛布にくるまり、過ごしていた。
被災者を最も悩ませたのは、トイレだった。断水の影響で水が流れない。便器をポリ袋で覆い、利用後に凝固剤で汚物を固めて処理していたが、処理が追いつかず、不衛生な状態が続いていた。足腰が悪くトイレへ頻繁に行きづらく、食事や水を制限する人もいた。

能登町は65歳以上が全町民の5割に上る。地震や津波を生き延びても、避難生活で亡くなる災害関連死も起きている。
町立柳田小学校に避難していた女性(98)は地震で自宅が壊れ、車で一夜を過ごし、翌2日から避難所に入った。しかし、徐々に元気がなくなり、11日の朝、おかゆをのどに詰まらせ、搬送先の病院で亡くなった。長男(68)は、「倒壊してもおかしくない家から逃げ出して、せっかく避難所までたどりついたのに」と悔やんでいた。
十分な支援や対策があれば避けられたのでは――。取材を通じて、やり切れなさを感じ、高齢者らの迅速な「2次避難」の必要性を痛感した。
インフラの復旧は少しずつ進んでいるが、復興への道のりは長い。主な産業の農業や漁業は再生できるのか。避難所で出会った男性(86)は「過疎化と高齢化が進む中で地震が来た。もう立て直す人がおらず、復活は難しいのでは」と悲痛な表情を浮かべた。

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