ベテランアニメーターの息子を亡くした父親(80)が審判の日を前につぶやいた。「極刑でも、亡くなった人の笑顔は帰ってこない」。どんな結果にも喜ぶわけにはいかない。こみ上げるのは、むなしさだろうと覚悟している。36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション放火殺人事件。京都地裁は25日、死刑を求刑された青葉真司被告(45)に判決を言い渡す。
■真摯な反省、感じられず
1月中旬、父親はひとしきり公判の経過を振り返った後、大きく息を吐いた。「事件を起こしたことを悔やんでいると思うんだが。裁判で彼は何を思ったのだろう」。被告が身勝手な主張に終始したと感じていた。真摯(しんし)な反省があったとは受け止められなかった。
公判が始まる前の取材で、父親は「心から謝罪してもらえたら、もうそれでいいかもしれない」と話した。失われた命と残された痛みは、一人を死刑にしたところで到底、償えない。被告が心の内をさらけ出し、模倣への歯止めとなるようなメッセージを発することを何より望んでいた。
公判は昨年9月に始まり2度傍聴した。被告を目の当たりにしても、想像したような激しい憎しみは沸き上がってこなかった。むしろ、第1スタジオ内の息子が絶命した場所など、事件から4年を経て初めて知る事実が重かった。被告人質問の最中も「(息子は)逃げられたのでは」と煩悶が渦巻いた。
■被告に問うた「命の意味」
公判最終盤の12月上旬。父親の意見をまとめた書面が代読された。被告の命もまた尊い。瀕死(ひんし)の状態から生還できた命へ感謝し、もう二度と今回のような事件が起こらないために、人生の全てをかけて意を尽くしてほしい-。消えることのない無念や悲しみとともに、被告へ命の意味を語りかける言葉が並んでいた。
「命をもって償ってほしい」とも記した。ただ、それは「死刑にして当然」という気持ちの現れではない。判決を控え、取材に応じた父親は「命を捨てても謝りたいという気持ちになった時、彼に本当の謝罪の心が湧いてくるのではないか」と文意を説明した。
命ある限り、命をかけて償って。そのためには、かけがえのない自らの命が、今生かされていることへの感謝が不可欠だ。そんな願いも込めたという。
自宅のカレンダーは、判決当日の予定が空欄になっていた。傍聴はしない。ニュースで結果を知ることになるだろう。ただ、知りたくない気持ちもある。「彼もやっぱり生きたいでしょうから」。どんな判決でも、素直にそっと受け入れてくれることを願っているという。