1月の初旬、地図の出版社である昭文社の人と話す機会があった。
そのとき能登半島地震の話題になったのだが、地図に詳しい人は有事の際に私たちと見ている地図がちがうことを知った。また、もっと早く救助に行けたのではないかと尋ねると、能登半島の地理的な難しさも教えてくれた。
思えば、今回の能登半島の地震について様々な意見が飛び交っている一因に、一般の人はあまり「能登半島を知らない」ということが挙げられるように思う。そこで本稿では、地図の専門家に能登半島とはどういうところか、災害時にはどういった地図を見ればいいのかなど、「地震と地図」について話を聞いた。
教えてくださったのは、地図出版社の老舗である株式会社昭文社ホールディングスの飯塚新真さんと竹内渉さんである。
『分県地図』から見えてくる能登半島の地形的な特徴
――今日は、石川県の地図を持ってきていただきましたが、まず能登というところの地形的な特徴を教えていただけますか?
竹内 これは『分県地図』という各都道府県を1枚の紙に表した地図ですが、これを広げて見ると、改めて能登半島の大きさがわかるかと思います。石川県の最大の都市である金沢市から、今回地震の被害の大きかった半島の先端である珠洲市までは、直線距離でおよそ110キロあります。ちなみに東京から100キロの地点といえば、栃木県の宇都宮市や静岡県の沼津市です。
――あまり意識したことがなかったのですが、それだけ大きな半島であると。
飯塚 そう思ったのは、我々のように日々、地図をいじっている者でも同じでした。能登半島ってどれくらいの大きさの半島かと、意外とイメージしにくいなと。そんなとき、改めて紙の地図で見てみると、わかってくることがありますよね。
竹内 また地図を見ると、地震の被害の大きかった能登半島北部の「奥能登」と呼ばれるところが、大変「山がち」であることもわかるかと思います。この地域の森林面積は全体の約3/4を占めます。市街地は輪島と珠洲にありますが、あとの集落は海岸沿いか、あるいは山間部のわずかな平地に点在しています。
――住むのに向いている平地が少ない?
竹内 高い山はないんですが、ほとんどが丘陵地帯ですね。奥能登は輪島市、珠洲市、穴水町、能登町を併せた4市町なんですが、面積が1130平方kmで人口は約5万8000人です。札幌は、これと同じくらいの面積で196万人が住んでいます。
飯塚 札幌全体と同じ面積でも、人口に大きな差がありますよね。つまり都市部での地震とは、大きく性質が異なっていたわけです。
――能登半島には、中央付近に少しくびれたところがありますね。
竹内 そうですね。この半島の中部、七尾市から羽咋市にかけては川に沿った標高の低い土地が続いています。農業には良い条件ですが、地盤が強いわけではないので、今回この地域の揺れも震源から離れているわりには大きかった。
――ここも道路破損などの被害が大きかったですね。
竹内 はい。それゆえ地震当初、金沢はもちろん、富山方面からも救助に行くのが難しくなったと思います。
熊本地震、胆振東部地震との違い
竹内 今回の地震の規模を把握してもらうために、気象庁が発表している「推計震度分布図」をご覧ください。濃いオレンジのところが震度6以上ですが、これを見ると、大きく揺れた場所が一目でわかります。比較のために、2016年に発生した熊本の地震のものを持ってきました。こちらは1回目のとき(4月14日/マグニチュード6.5)ですがこれと比べると、広範囲で大きな揺れが起こったことがわかります。
――こうして見ると、今回の地震で揺れた範囲がとても広かったことがわかりますね。
竹内 先ほど紹介した熊本の地震はのちに「前震」とされたものです。こちらは本震とされるもの(4月16日/マグニチュード7.3)ですが、こちらは前震よりかなり広い範囲が揺れたことがわかります。そしてこちらが2018年に起こった北海道胆振地方の地震(9月6日/マグニチュード6.7)です。
――この熊本の地震と、胆振の地震は直近の大きな地震ということで、今回の地震とよく比較されますよね。
竹内 はい。比べてみると、今回の能登の地震とはだいぶ性質がちがうなと改めて感じます。熊本は都市部で、近くに大きな自衛隊の基地もあった。胆振は、能登と同じような過疎地域ですが、苫小牧や千歳といった交通拠点に近く、そういったところにあまり被害がなかった。今回は過疎地域で、交通インフラが遮断。46万都市の金沢からも、簡単にアクセスできないなど、難しい状況が重なりました。
――平地が少なく、ヘリコプターが降りられるところも少なそうですね。
竹内 効率の問題もあるでしょうね。5万8000人が点在して住んでおられると、どこに降りるのが一番効率がいいかもわかりにくい。そもそも、どこに避難しているのかを把握するのも難しい。
推計震度分布図から推測した被害規模は「阪神・淡路大震災かそれ以上」
――地震発生当初に火事が起きていたところは輪島ですよね。
竹内 はい。ビルが倒壊したのも、輪島ですね。ここまでは、なんとか金沢からでも行けたんですね。だから輪島のことはすぐにわかった。でも奥能登の珠洲の映像は、早くから流れていたのは市役所があったところくらいじゃないですかね。ここは土煙が上がって何軒か潰れていましたが、全体が壊れた状況ではないですから、なんとか持ち堪えているのかなって印象になっちゃうんですよね。
――地震発生から2日くらいの映像だけだと、一見、深刻さを感じられなかったとも思います。
竹内 そのときだけの映像だと感じようがないですよね。
――でも推計震度分布図などを見てみると、事態の予想がつく?
竹内 あくまで単なる地図編集者の感想ですが、地震発生後の30分後くらいにこの図を見たとき能登半島の広範囲が震度6以上に見舞われていたので、ライフラインや道路が寸断されて、とりわけ奥能登は相当やられてしまっただろうと思いました。
――救助もかなり困難だろうと。
竹内 私、北海道出身なので、胆振東部地震のときの空撮が思い出されました。あのときのように丘陵地帯が崩れて、海岸の段丘面も崩れているだろうと。能登空港も当分無理で、津波がきていて港も使えない。救出手段としてはヘリくらいしかないだろうと。これらを想像し、暗澹たる気持ちになりました。
熊本の1回目の地震(マグニチュード6.5)より40~50倍も大きな規模のマグニチュード7.6を記録しているのにすぐに助けに行くにはあまりにも状況が悪い。そういう意味で、阪神・淡路大震災かそれ以上の規模感、困難さを伴う災害になると感じました。
地図を構成する3つの要素「線、面、注記」
飯塚 今回、改めて能登半島の地図を見ると、昭和の終わりから平成、令和にかけて、ずいぶん道路が整備されたなとは感じるんです。私は、昭文社に入社して40年近く経ちますが、入社した頃に計画が本格化したのが、小矢部から輪島までを結ぶいわゆる「高速道路」の能越自動車道です。現在も全通はしていませんが、とびとびに整備が進み、輪島の近くまで来ています。やっとここまで来たかという感慨もありますが、まだ全部は行っていないんだよなと。
竹内 今の飯塚の「道を線のように捉える」考え方は地図屋らしいです。私たちは地図を大きく3つの要素に分解して作っていくんですが、それが線、面、注記です。
――地図はその3つの要素で作られると。
竹内 はい。線というのは、道路であったり鉄道であったり川であったりですね。まず、これがどこを走っているというのを原稿化していきます。面というのは、市街地の広がりであったり、山地がどこまでとか、公園がどこまでですという情報。
飯塚 行政がどこまでかというのも面情報ですね。
竹内 もうひとつの注記は文字情報です。町とか道路の名前とかですね。地図記号も注記になります。国土地理院の発行する地形図は注記情報が少ないですが、そこに注記情報をたくさん加えてわかりやすくするのが、我々、民間地図会社の仕事なんですね。
今回、報道された文字情報として、3万戸くらいが停電しているというニュースが発生当初から流れていました。過去の地震だと50万戸停電といったこともあったので、そういった文字情報だけだと、被害状況が小さく感じられてしまう。「2、3万戸なんだ、過去の例に照らせば何日かで復旧するんじゃないかな」と思える。でも面で考えると、札幌市域より大きなところが停電しているのだから、これは大変なことだぞと思える。地図を使うと面的に考えられて、実情に近い状況を把握しやすいんじゃないかな、と思いましたね。
――報道でも、テキストじゃなくて、面で見せるのもひとつの方法ですね。
竹内 この寒い季節にこれだけ広大なエリアが長期停電するならば、救援の仕方も過去の地震と変わってくるでしょう。1995年の阪神・淡路大震災のときも寒かったですが、あのときは大阪の人間が比較的早く現場に行くことができた。今回の苦労は、その比じゃないだろうなと。
写真=山元茂樹/文藝春秋
〈 地図の専門家が「地震のとき真っ先に見るのは、防災科学技術研究所の『防災地震Web』」と語る理由とは 〉へ続く
(岡部 敬史)