自民党の派閥のパーティー券問題で、永田町が揺れている。
安倍派、二階派、岸田派に政治資金規正法違反の疑いが持ち上がり、岸田首相は岸田派の解散を決めた。問題がなかった麻生派と茂木派は解散しないが、安倍派も二階派も同様に解散を決めたほか、森山派も解散を決定した。
こうして、「派閥の存在こそが問題」ということになってしまった。
ただ、問題の核心はそこだったのだろうか。
そもそも自民党の派閥とは、自分たちの領袖を首相にすることが目的の集団である。
親分が首相になれば、子分が大臣になれる可能性が高まるので、所属議員たちは汗を流す。
派閥は「カネとポストの配分単位」である。派閥の領袖は、部下に政治資金を配り、選挙を助ける。かつての派閥はそういうものであった。
しかし、今は、政治資金パーティーが集金手段となっている。
一般的に、派閥の規模に比例して、大臣、副大臣、政務官のポストが配分されるので、派閥は、所属する議員の数を増やそうとする。当選6~7回にもなって大臣になれない議員は、派閥の推薦枠でなんとか閣僚になろうとする。
タテマエを言えば、派閥とは政策集団であり、同じような考えを持つ政治家が集まるはずのものだ。たとえば、岸田派はハト派、安倍派はタカ派というようなイメージである。
しかし、今の派閥は、政策を基準としたものではなくなっている。
自民党の派閥は、中選挙区制が生み出したものである。
中選挙区とは、一部の例外を除いて、定数が3~5である。当時の自民党は強かったので、一つの選挙区から複数の当選者が出る。5人区では5人とも自民党ということがありうる。そうなると、野党候補との戦いよりも同じ自民党の候補との競争のほうが熾烈(しれつ)になる。
かつて「三角大福中」と言われた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘が率いる5大派閥の時代があった。田中派と福田派の議員がいる選挙区で、新人が出馬しようとすると、それ以外の三木、大平、中曽根の派閥から立候補するしかなくなる。こうして、定数5と派閥数5が一致する。
同じ自民党から複数の候補が戦うので、政策の競争ではなく、ばらまくお金の競争となる。この「カネのかかりすぎる選挙」が問題となり、小選挙区制に移行したのである。
衆議院が小選挙区比例代表並立制を導入してからは、派閥には中選挙区時代のような意味はなくなった。小選挙区では1人しか公認候補を出さず、公認権を持つ総裁が誰を公認するかを決める。そこで首相官邸の力が強くなった。
岸田氏が内閣総理大臣だということ自体、最大派閥の長でなくても首相になれることを意味する。
1月25日、自民党は、政治刷新本部で、「中間とりまとめ」を決定した。
政策集団(派閥)については、解散ではなく、以下のような方針が示されている。
派閥を真の政策集団にするために、カネと人事から完全に決別する。具体的には政治資金パーティーの禁止、所属議員への手当支給を廃止、閣僚人事で推薦や働きかけの禁止、政治資金規正法違反の場合は解散か活動休止させる、政治資金収支報告書の外部監査の義務づけ、などである。
つまり、中選挙区制下で果たしていた派閥の機能を停止させるということだが、そこまでするなら、派閥解散を決めたほうがよい。
ただ、岸田首相が唐突に岸田派の解散を宣言したことには違和感を感じる。
大衆に受ければよい、そうすれば支持率も回復すると踏んだのであろうが、まさに衆愚のポピュリズムそのものである。
大衆を扇動して人気を博し、権力の獲得を目指すのがポピュリストである。
2016年6月の国民投票でイギリス人はEUからの離脱を決めた。2016年の大統領選で、アメリカ国民はトランプを選んだ。どちらもポピュリズムの結果と言える。
結果として世界は多大な迷惑を被ったが、後悔しても後の祭りであった。
こうしたポピュリズムの政治手法が世界に蔓延(まんえん)している。
今回の派閥解散もその典型だと言えよう。
読売新聞の世論調査(19~21日)では、内閣支持率は24(-1)%で過去最低、不支持率は61(-2)%だった。
首相の岸田派解散については、評価が60%、不評価が29%となった。
また、自民党の政治刷新本部に「期待する」が17%、「期待しない」が75%であった。
朝日新聞世論調査(20、21日)では、内閣支持率は23(±0)%、不支持率は66(±0)%。
岸田派解散については、評価が61%、不評価が29%だった。裏金問題への首相の対応については、評価が17%、不評価が75%と、こちらも不評価が圧倒的だ。
支持率が大きく下がらなかったのは、岸田派解散宣言のおかげだと岸田周辺は喜んでいるという。その反応こそがポピュリズムの極みではないだろうか。
派閥が必要な理由として、新人議員を教育・育成するため、という意見もある。
たしかに新人議員の教育は派閥の機能の一つだ。右も左も分からない1年生議員に、派閥が、礼儀作法、政策、選挙の戦い方などを教育する。
だが、今の自民党本部には、そのような機能が備わっているため、派閥に所属する必要はない。
私は自民党の国会議員時代、派閥には一度も所属しなかったが、政策の勉強も、政治家としての立ち居振る舞いも、選挙の仕方も十分学ぶことができた。
党本部の会合に真面目に出ていれば可能なのである。
政策の勉強なら、毎朝、早起きして党本部に行けば、政務調査会のさまざまな部会が勉強会を開いている。朝ご飯を食べながら、各省庁から来た役人たちの説明を聞き、政策を学び、同僚議員と議論を交わす。
自民党議員であれば、誰でも、どの勉強会でも出席できる。
その部会での研鑽(けんさん)と活躍で、党内での地位が高まっていく。官僚たちもどの議員を大事にすべきか注意して見ており、目を付けた議員をいずれ自分の省の大臣にするためには支援を惜しまない。
また、部会などの党の会合で、長老議員は、新人議員の言動をじっくり観察し、誰を次期リーダーとして育てるべきかを決める。
選挙のときも、どうしても負けられない選挙区には、派閥に関係なく、党全体で支援体制を固める。
人事にしても、重要なのは派閥ではなく、政治家の能力だ。とくに自民党と野党の勢力が拮抗(きっこう)しているときなど、派閥推薦リストに従って大臣を決めるような余裕はない。
2012年末に政権に復帰してからの自民党には、野党になることはないという安心感、おごり、甘えがある。緊張感もなく、無能な政治家でも、派閥の推薦で閣僚にしている。
今のように自民党が国民の批判を浴びれば、野党に対する期待が膨らむはずである。しかし、世論調査を見ても、自民党の支持率は下がっても、野党の支持率は上がらない。増えているのは、「支持政党なし」、いわゆる無党派層である。
私が麻生内閣の閣僚だったときの2009年夏の総選挙で、自民党から民主党に政権が交代した。
非共産系の野党が一つの大きな塊、民主党に結集していたことが大きい。
民主党は、非自民・非共産を旗印に、「政権交代」の4文字で勝利したのである。
ところが今、かつての民主党は立憲民主党と国民民主党に分裂している。さらに前原誠司氏のグループも新党を作った。日本維新の会という与党か野党か分からない政党も勢力を増している。
自民党、公明党が下野したとしても、今の野党が連立政権を組み、自公政権より優れた統治をできると考える有権者はほとんどいないだろう。
私は、2007年夏から2009年夏まで、安倍、福田、麻生の3首相の下で閣僚を務めたが、当時は、民主党が参議院を牛耳る「ねじれ国会」であった。
法案が衆議院で通っても、参議院で否決されるという状況で、大臣としては苦労したものである。
そのような緊迫した状況では、派閥推薦で大臣を決めるなどという緊張感のない人事は不可能であった。
今回の派閥のパーティー券問題で問われているのは自民党の姿勢であるが、実はそれ以上に問われているのが、野党に政権を担う意欲も能力も無いことだ。
派閥の会計責任者は起訴されたが、派閥幹部の国会議員は不問に付された。検察に期待していた国民はこの扱いに失望したようである。
しかし、検察に言わせれば、法と証拠に基づいて職務を遂行しているのみであり、証拠もないのに立件できないという理由しかない。
つまり、問題は政治資金規正法という法律にある。
この法律を改正して、会計責任者のみならず、国会議員の責任を追及できる連座制を導入することなどが検討されている。
また、国会議員の関係団体の収入は銀行振り込みにすること、政治資金収支報告書をオンラインで提出することも俎上(そじょう)に上っているという。
法を作るのは国会であり、与野党で議論して法改正を行えばよい。
検察も行政機関の一つであり、長期にわたった安倍政権の下では、検察の独立性を疑いたくなるような政権寄りの姿勢も見られた。
安倍派の裏金疑惑露呈も、政権が岸田氏に移ってから表面化した。検察はそれまで何もつかんでいなかったのか、それとも安倍政権に忖度(そんたく)していたのか。
検察がどうあろうとも、国民が選挙によって判断を下すのが民主主義である。ところが、その民主主義を、ポピュリズムがゆがめ、大衆迎合に走るマスコミがそれをあおる。
検察やマスコミに期待するよりも、投票所で勝負する気概が有権者に求められている。
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(国際政治学者、前東京都知事 舛添 要一)