子どもの姿に「自分重ねた」=ボランティアの福島大生―能登地震

能登半島地震ではボランティアが各地から石川県に駆け付けている。福島大3年の羽田奏子さん(21)=福島市=は1月、志賀町の災害ごみ集積場で活動した。自身は小学2年生で東日本大震災を経験。「被災者の中には小さな子どももいて、あの時の自分と重なった。心に傷を負わないか心配だ」と振り返る。
13年前の3月11日、福島市内の学童保育施設で縄跳びをしていると、突然「現実か分からない」ほどの揺れに襲われた。ひび割れた道路や停電で点灯しない信号機を見て「当たり前の日常が壊れてしまった」とショックを受けた。
その後「過度に心配性になってしまった」という羽田さん。小学4年の時、自宅近くの吾妻山が活火山だと知り、「また災害で日常が壊れてしまう」と夜眠れなくなった。噴火の夢で目を覚まし、窓から普段通りの山を確認して胸をなで下ろすことが何度もあった。
昨年3月に友人との旅行で初めて金沢市を訪れ、「街の雰囲気や人の優しさに魅了された」。夏休みには金沢市役所職員のインターンシップ(就業体験)に1週間参加。思いはさらに強まり、卒業後は福島市か福島県職員を目指していたのが、金沢市や石川県も選択肢に入るようになった。
どの自治体の試験を受けようか迷っていたさなかに、能登半島地震が発生。「自分にも何かできることはないか」と元日にボランティアに登録し、授業の合間を縫って受け入れ初日の1月27日に1泊2日で参加した。
富来野球場(志賀町)に設けられた災害ごみの集積場で、被災者らが運び込んだ家具や家電、崩れた壁や屋根瓦などの荷下ろし、分別を約6時間手伝った。時折雪が降る寒空の下、荷物を積んだ車の列が長くなると「少しでも早く帰ってもらえるように」と作業を急いだ。
車内には小さな子どもの姿もあり、「現実を受け止められているのかな」と心配になった。「志賀町は福島市より被害が大きいと思う。自分以上に心に傷を負う子がいてもおかしくない」と気遣った。
今回の活動を経て「自分の力のなさを知った」という羽田さん。今後、災害ボランティアの研修会に参加するつもりだといい、「公務員になって、災害時には真っ先に現地に駆け付けたい」と話した。
[時事通信社]

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