能登半島地震の被災地に派遣され、遺体の死因や身元を調べる検視や遺族対応に従事した「広域緊急援助隊刑事部隊」の警察官2人が21日、埼玉県警本部で取材に応じた。「遺体をきれいにして(家族の元に)帰したいとの思いで活動した」と語る一方、悲しみに暮れる遺族への対応では「まだできることがあったのでは」と、もどかしさを感じたことも吐露。派遣の経験を次の災害に生かすことを誓った。【安達恒太郎】
検視班と遺族支援班からなる同部隊の計12人は1月9日から6日間、石川県輪島市で活動した。部隊長を務めた捜査1課検視調査室の金子和義警視(53)は「被災者が大変なのは報道で知っていた。少しでも援助できれば」と現地に向かった。
道路は各所で寸断されており、迂回(うかい)して、目的地を目指した。当時は電気が復旧しておらず、持参したLEDライトなどが頼りだったという。
活動拠点は閉校となった中学校体育館。検視班は、大規模火災が発生した観光名所「朝市通り」周辺などで見つかった計3人の遺体を検視した。金子警視は「その人その人の人生をかみしめる思いで、敬意を持って遺体を扱った」と話す。
犯罪被害者支援室の山本泰裕警部(41)ら遺族支援班は、遺族に死因を説明した上で、遺体との対面に立ち会うなどした。涙を流して遺体と向き合う遺族もおり、山本警部は「不安を解消したいと思っていたが安易に励ますことはできず、もどかしさがあった」と振り返る。できる限りを尽くしたとの思いがある一方、現地のニュースを見るたびに「まだまだできることはあったのでは」と感じることもあるという。
体育館は仕切りなどを使って遺族に検視状況を見せないよう工夫されていたといい、「大きな災害を経験していなかったので、こうした配慮が重要だと分かった。今後に生かしたい」と話した。
県警危機管理課によると、県警は20日までに広域緊急援助隊や特別生安部隊など延べ約2700人を被災地に派遣。今後も要望に応じて派遣する予定だという。