昭和38年に日本海で行方不明になり、後に北朝鮮での生存が判明した寺越武志さん=当時(13)=の母、友枝さんが25日午後5時43分、呼吸不全のため死去した。92歳。石川県出身。葬儀・告別式は家族葬で行う。
武志さんと、いずれも叔父の寺越昭二さん=同(36)、寺越外雄さん=同(24)=の3人は38年5月11日、石川県志賀町の港から出漁後、行方が分からなくなった。62年1月に外雄さんから「武志さんと北朝鮮で暮らしている」とする手紙が日本の家族に届き、別の手紙には、武志さんが結婚し子供をもうけたとの記載もあった。
この年以降、友枝さんは旅行者として何度も北朝鮮へ渡航。計70回近く、武志さんやその家族との面会を重ねた。
平成14年10月には、武志さんが訪日団の一員として一時帰国。本人は「北朝鮮の漁船に助けられた」などと拉致を否定した。このため日本政府は武志さんら3人について、北朝鮮による拉致被害者と認定していない。
関係者によると、友枝さんはここ数年、体調を崩して入院を繰り返していた。武志さんの主張については、北朝鮮当局に仕向けられていた可能性があり、友枝さんも明確な評価は避けていた。