能登地震発生5分後、高台へ向かう動き…津波避難の教訓生きる

能登半島地震では、津波から逃れるため高台などに迅速に避難した人が多いことが、人流データを基にした読売新聞の分析でわかった。13年前の東日本大震災を機に、津波のハザードマップの見直しなどが行われ、住民の津波への意識は高まっていたとみられる。大震災が教訓になったと口にする避難者もおり、即時避難の重要性が改めて浮き彫りになった。
ソフトバンク系情報サービス会社「アグープ」(東京)は、匿名化した携帯電話の位置情報から、1月1日午後4時10分の地震発生前後の人流データをまとめた。
このデータを本紙が分析したところ、石川県 珠洲 市の飯田・ 直 地区では、沿岸部の住宅街から標高15~25メートルの高台にある避難場所の飯田高校などへの人の流れが、地震発生約5分後から目に見えて多くなっている様子がわかる。県は津波による甚大な被害が出た大震災後に津波想定を見直し、同市が2018年に作成したハザードマップでは、津波が約20分以内に到達すると予測していた。
携帯電話の位置情報から「滞在人口」を推計するNTTドコモの「モバイル空間統計」のデータでも、飯田高校周辺の滞在人口は、地震発生後の午後5時台は発生前の午後3時台に比べて3倍に増加した。同市に隣接する輪島市や能登町を含めたその他の地域でも、標高が高い地域で滞在人口が増え、海岸沿いの低い地域では大幅に減少する傾向が見られた。
飯田高校に避難した珠洲市の男性(71)は、尋常ではない揺れを感じ、すぐに車で避難した。自宅は海から約100メートルで、「津波被害が念頭にあり、体が勝手に動いた」と語る。
同市三崎町の男性(89)は、夕飯の準備中に激しい揺れに襲われた。「逃げろ」という周辺からの声かけを聞き、すぐに高台に避難した。後日戻ると、津波で流れてきた車が自宅にめり込んでいた。「大変な目に遭ったが、早く逃げたので命だけは助かった」と話す。
近くの男性(68)は「大震災などを教訓に、大きな地震があったら高台へと呼びかけていた。声をかけ合ったことも迅速な避難につながったのではないか」と振り返る。
能登半島地震の犠牲者は241人で、県が遺族の同意を得て氏名を公表した139人のうち、津波による死者は2人だった。
現地で聞き取り調査した中央大の有川太郎教授(湾岸工学)は「尋常ではない強い揺れや、住民同士の声かけが、逃げる『スイッチ』になった」と分析。「最悪のシナリオを想定し、すぐに逃げることがやはり重要だ」と話す。

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