「“コタツ記事”を量産するメディアは報道機関とは呼べない」日刊スポーツ元社長が古巣を喝破!「本当に恥ずかしい限りです」

〈 「“文春”てはなく“女性の声”に向き合って」松本人志問題でメディアが率先してすべきこと 〉から続く
「週刊文春1月4日・11日号」に第一報 「《呼び出された複数の女性が告発》ダウンタウン・松本人志(60)と恐怖の一夜「俺の子ども産めや!」 が掲載されてから、大きな反響と議論を呼んでいるダウンタウン・松本人志(60)をめぐる問題。
一連の報道、松本本人の言動、メディアや世間の反応について、各界の識者たちはどうみていたのか――。「週刊文春」で3週にわたって掲載された特集「松本問題『私はこう考える』」を公開する。
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「『週刊文春』が松本人志さんについて報じる度に、後追いするようにスポーツ各紙は、膨大な量の関連記事をネットにアップしています。ただ残念ながら、そのほとんどが報道と呼べる代物ではありません」

そう語るのは2011年まで日刊スポーツ新聞社の社長を務めた三浦基裕氏(66)だ。
〈元乃木坂46山崎玲奈「ありすぎる時間差が気になる」 松本人志報道で文春取材に私見〉(編集部注:原文ママ 正しくは山崎怜奈)
〈カズレーザーが動かぬ松本人志に言及「なぜ会見やらない?」文春との第1回口頭弁論を来月に控え〉
〈河西邦剛弁護士「主張しないのは戦略では?」文春との裁判で松本人志側の訴状について私見〉
ワイドショーを観ながら書いただけ
いずれも私の古巣である「日刊スポーツ」が2月25日にウェブ配信した記事のタイトルです。これらはすべて「コタツ記事」と呼ばれます。直接取材をすることなく、ネットやテレビで知りえた情報のみで作成する記事のことです。
たとえば最初に挙げた記事は、乃木坂46の元メンバーが「サンデージャポン」(TBS系)の中で、発言した内容をそのまま記事にしています。
2本目、3本目の記事も同様で、同じ「サンデージャポン」での出演者の発言を載せているだけです。発言者本人に直接取材することもなければ、それに関する文春側への取材もありません。ただ単にワイドショーを観ながら書いただけの記事を何本も掲載しているのです。
当たり前のように「コタツ記事」を量産し…
マスメディアは、直接取材をもとに報じるのが大原則です。しかし、この松本問題に象徴されるように、スポーツ各紙は、当たり前のように「コタツ記事」を量産しています。なかなか直接取材が難しい部分もあるとは思いますが、スポーツ各紙の記者たちは、当事者たちに懸命のアプローチをしているとは思えません。
以前からスポーツ紙が芸能面を中心に週刊誌のスクープ記事を後追いすることはままありました。
今でも思い出すのは1984年の「疑惑の銃弾」です。「週刊文春」が三浦和義氏の保険金殺人疑惑をスクープしたのです。スタートは後追いでしたが、夥しい数の報道陣が三浦氏の自宅や、彼が経営するカフェバー「フルハムロード」に押し寄せての取材合戦が展開されました。「日刊スポーツ」も特別取材班を編成し、連日、三浦氏本人や、その周辺を徹底取材し、アメリカにも記者を派遣しました。報道の過熱ぶりが批判されることもありましたが、それくらい直接取材をもとにした報道に心血を注いでいたのです。
多メディア化が進む中、活字メディアは苦境に立たされており、スポーツ各紙がウェブメディアに活路を見出そうとする状況もよく理解しています。私が管理職だった2000年代の初めから「ウェブファースト」への流れは始まっていました。1日1回発行の新聞と違い、常に情報を更新できるウェブに多くの速報記事を掲載することで、PV数をあげ収益を得ることを目指すようになりました。
「もはや報道機関とは呼べません」
私自身はプロ野球の記者歴が長かったのですが、現場に足を運んでいれば、様々な情報を得られます。スペースが限られる新聞には掲載できないような小ネタでも、ウェブの記事として活用すれば情報の鮮度を保つ効果を期待でき、PV数のアップにつながります。
しかし、松本問題に限らず、最近のスポーツ各紙のウェブ記事の多くが他媒体や著名人のSNSからの「パクリ記事」になってしまっています。本当に恥ずかしい限りです。人のふんどしで「コタツ記事」を量産するメディアは、もはや報道機関とは呼べませんし、「情報」の信頼性も失われていくばかりです。
PV数を増やすために「一日何本以上の記事を掲載しろ」と上司から指示されているとの話も聞こえてきますが、単純に売り上げを増やしたいとの思いばかりが先走って、メディアの進むべき道を踏み外している気がしてなりません。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年3月7日号)

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