ダムの水にのまれた地区で慰霊式 高齢化で継承課題 福島・須賀川

東日本大震災で7人が亡くなり、今も1人の行方が分からない福島県須賀川市長沼地区で10日、地元有志による慰霊式が営まれた。参列した遺族ら約80人は、能登半島地震に13年前の記憶を重ねつつ、二つの大災害の犠牲者の冥福を祈った。
長沼地区は太平洋沿岸から70キロ以上も離れているが、2011年3月11日に震度6強の地震の揺れで農業用ダム「藤沼湖」が決壊。約150万トンの鉄砲水が、下流の集落をのみ込んだ。
ダムは1キロも離れた山の中腹にあり、集落から見えない。祖母さつきさん(当時86歳)を失い、式に参列した和智裕子さん(40)は「なぜか足元で水かさが増し始め、車を守ろうと高台に置いて戻る途中、自宅が祖母とともに流されてしまった」と言う。祖母を救えなかった後悔に今もさいなまれるが、10歳の男児ら子どもたち3人は震災を知らない。
橋本克也市長は「能登の惨状で大人が呼び起こされた13年前の記憶を、次世代にどう伝えていくかが課題だ」と述べた。慰霊式を営む地元有志らの高齢化も進んでおり、実行委員長の柏村国博さん(68)は「集落と地域の防災、自ら身を守る意識づくりのためにも、後継者育成を進めるのが私たちの使命だと思う」と話した
大震災の「命日」は11日だが、長沼地区では関係者が集まりやすいようにと例年、直近の土、日に催している。【根本太一】

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