東日本大震災から11日で13年。当時の子どもは大人になり、この春、新たな一歩を踏み出す。津波防災研究者、介護職、看護師。「災害で被害を出さない」「古里のために」との思いで、それぞれの夢をかなえようとしている。
「防潮堤は津波を100%防ぐことを目的としていない。避難の時間を稼ぐためにあるんです」。先月、岩手県山田町出身の大学院生、堀合紳弥さん(27)は母校の町立山田中の授業で2年生に訴えた。あのときの自分と同じ学年だ。
堀合さんは八戸工大(青森県八戸市)で災害に強いまちづくりを学び、研究の道へ進む。水産加工場に勤めていた母るり子さん(当時48歳)を津波で亡くし、「なぜ逃げなかったのか」との思いを抱えてきた。
13年前、高台にある校舎で巨大な揺れに襲われた。「下を見るな」と教師に止められ、津波は見ていない。夜、市街地を襲った火災で、空がオレンジ色に染まったのを覚えている。
るり子さんは、同僚を車で保育園に送り届けた後で行方不明になり、約4か月後、遺体が確認された。町の犠牲者は830人。誰も責める気にはならないが、被害を防げなかったかとの思いは残った。
建設会社に勤めていた父・勝実さん(68)の影響で工業高校に進み、土木を学ぶうちに「津波に強いまちをつくりたい」と決意。大学院では避難所の浸水想定や車避難のシミュレーションに取り組んだ。
4月に東北大災害科学国際研究所(仙台市)の助教に就く。積雪地や高齢人口の増加が避難行動にどう影響するのか、一般の人も理解できるよう、津波の浸水や渋滞の状況を時系列で確認できるプログラムの開発を目指す。「震災の教訓が生きた」。そんな言葉を聞くために頑張る覚悟だ。(盛岡支局 広瀬航太郎)