「80年を経て兄に会えた」 湖南丸雷撃で犠牲、少年航空兵遺族が「海鳴りの像」を初参拝

先の大戦中、米軍の攻撃で沈没した貨客船「湖南丸」に乗船し犠牲になった少年航空兵の遺族が24日、戦時遭難船舶犠牲者を慰霊する「海鳴りの像」(那覇市若狭)を初めて参拝した。
湖南丸は昭和18年12月21日、疎開者などを乗せ鹿児島へ向かう途中、口永良部島西方で米軍の潜水艦の雷撃を受けて沈没。戦時遭難船舶遺族会の碑文によると、577人が犠牲になった。未成年の少年航空兵200人も乗船しており、197人が死亡したが、軍事機密のため乗船名簿には氏名が記載されていなかった。
少年航空兵になるための試験を受けようと、湖南丸に乗船していた兄の山里秀雄さんを失った節子さん(86)=沖縄県石垣市=は、この日初めて「海鳴りの像」を訪れた。
節子さんは「兄の訃報が届いた際、骨ではなく枝サンゴのかけらが入っていた」と振り返り、「80年を経てようやく兄に会えたような気がする」としみじみと語った。

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