輪島市大沢町の孤立集落、進まぬ道路復旧 「故郷が消えてしまう」

「人がいないと、復旧が後回しにされる」。能登半島地震で孤立化した石川県輪島市大沢町では、2次避難先から一時的に戻る住民の姿も増えた。ただ、主要アクセス道の県道は土砂崩れで通れないまま。電気の復旧も見通せない。市外で住まいを確保した人もおり、住民は「このままでは故郷が消えてしまう」と危機感を募らせる。
元日の地震では、県内で最大24集落3345人が孤立した。大沢町からは、帰省客を含む約150人全員がヘリコプターで救出された。住民の多くは現在、約170キロ南の同県加賀市の温泉ホテルなどに避難。地震で損傷した山越えの道は3月1日に仮復旧して車が通れる状態になり、住民が一時帰宅して必要な荷物を持ち出したり畑の手入れをしたりしている。
3月上旬、一時帰宅する元小学校教諭の小崎香代子さん(76)、会社員の長男慎太郎さん(47)らに同行した。2月中旬に慎太郎さんらの案内で歩いた山越えの道を行く。当時は崩落した巨岩や木々に阻まれ、約6キロの下り道に約2時間かかった。いまは土砂が撤去され、迂回(うかい)路も整備されて車で約30分だ。
小崎さんは自宅に止めたままだった車に着替えなどを積み込むと、日本海を一望する高台の畑に向かった。昨秋、植えたタマネギに追肥をし、根菜類を収穫。「夕飯はカブのおみそ汁にしよう。ダイコンは切り干しに」と笑顔を見せた。
避難先のホテルでは、いてついた心身が温泉に癒やされた。だが、しばらくすると「地に足がつかず、心がちゅうぶらりんになった」と言う。家族の食事を作り、畑仕事をして近所の人たちと交流する。そんな日常が奪われたからだ。車での帰宅が可能になったことについて「やっとスタートラインに立てた。いまはできることから始めたい」と語る。
会社員の橋今栄(はしこんえい)さん(53)も被災後、何度となく山道を歩いて一時帰宅した一人。「誰かが帰らないと復旧が後回しにされる」という危機感があった。山道の仮復旧で携帯電話会社の移動基地局が到着し、通信が可能となった。「(山道が)応急啓開しました」「大沢もやっと罹災(りさい)証明発行可能地区に」。無料通信アプリで、避難中の住民ら130人に地元の状況をこまめに発信している。
3月初めに同県野々市市のみなし仮設住宅に移り、輪島市の職場へ通う。通勤は往復で6時間。過酷な生活の中、週末は大沢町に戻る。「若い者が一歩を踏み出さないと、お年寄りも帰れない」と考えている。
橋下進さん(68)は3月上旬、持病がある弟(66)らと共に、加賀市のホテルから自主帰還した。弟が強く帰宅を望んだからだ。長年、弟の世話をしてきた橋下さんは「海や山の見えるところでないとだめだ」と言う。区長の大箱(おおはこ)洋介さん(75)は「生まれた場所で生を全うしたいという思いを止めることは誰にもできない」と理解を示す。自身が一時帰宅した際、橋下さんに「大沢の番人になって」とカップ麺などを差し入れた。
ただ、県道や電気が復旧しなければ大半の住民は戻れない。大箱さんは、市や県に繰り返し復旧を働きかけてきたが、見通しは示されない。「担当が分散している。国が復旧計画を一元化し、人や資材を投入すべきだ」と訴える。
大箱さんは、地震直後にドクターヘリで病院に搬送された母親(98)を引き取るため、4月末に金沢市のみなし仮設住宅に移る予定だ。「県道が復旧しないと、暮らしが取り戻せない。帰りたい人がいる限り、集落存続を訴え続ける」
2次避難先のホテル「加賀百万石」(加賀市)では2月末以降、若い世代から退去していき、約80人いた大沢町の住民は半数を切った。元給食調理師の中嶋恵美子さん(65)は地震直後、孤立化した大沢町の公民館で連日100食の炊き出しを担当。ホテルに移ってからも、高齢住民に体操を勧めるなど避難中の健康管理に気を配ってきた。
大沢町の高齢化率は6割を超え元々、集落の維持に課題は多い。中嶋さんは、輪島市の仮設住宅への入居を希望しているが、ひとまずは同県小松市で住まいを見つけた次女(31)と暮らすことにしている。ただ、大沢町への思いは断ちがたい。「心優しい人がたくさんいるのが大沢の魅力。でも困った時に、頼ったり頼られたりする田舎暮らしの維持には、若い力が欠かせない」と話した。
2次避難所から、それぞれの落ち着き先に移ろうとしている大沢町の住民たち。地震から3カ月を迎えるが、集落離散の危機はより深刻化している。内閣府によると、災害で孤立する恐れのある集落は全国で約2万カ所。大沢町の置かれた状況は、今後の日本の縮図といえる。【中尾卓英】

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