2016年4月の熊本地震で被災した熊本城(熊本市)は、数十年にわたる復旧の様子を観光資源として公開する「見せる復興」が功を奏し、来場者数を伸ばしている。23年度は前年度から35万人増の135万人が訪れ、地震前の8割近くまで回復。14日からは新たに国指定重要文化財・宇土 櫓 を月1回程度、特別公開する。熊本地震から8年。関係者は「関心を持ち続けてほしい」と願っている。(有馬友則)
「崩れた壁やひび割れた瓦など、今しか見られない姿を確認してほしい」
熊本市熊本城総合事務所の岩佐康弘・復旧整備課長は8日、公開が迫った宇土櫓の前で見所を語った。
宇土櫓は、熊本城が築城された慶長年間(1596~1615年)に創建されたとされ、大天守と小天守に次ぐ「第3の天守」とも呼ばれる。地上5階地下1階建てで、地震で柱が折れたり、外壁が剥がれたりする損傷が40か所以上確認され、建物全体が傾いた。倒壊は免れたが、解体して復旧を目指すことになった。
今年1月に本格的な解体工事に着手し、現在は櫓全体が工事用の囲いに覆われている。復元は32年度の予定のため、市は、工事を続けながら内部を公開することにした。工事の休みに合わせ、毎月第2日曜日の公開を予定しており、「安全を確保しながら、見学を楽しんでもらいたい」とする。
地震では、国指定重要文化財の建造物13棟が全て損壊し、天守閣などの復元建造物20棟も被災。上に行くほど傾斜が急になる「武者返し」で知られる石垣は、全体の1割にあたる約8200平方メートルが崩落した。
天守閣は「復興のシンボル」として先行して21年に復旧を終えたが、城全体では52年度の復旧完了を見込み、 進捗 率は2割余り(22年3月末時点)にとどまる。
立ち入りを規制せざるを得ない中、観光に大きな役割を果たしてきたのが「特別見学通路」と呼ばれる高さ約5~7メートルの空中回廊だ。20年に整備し、作業や工事用車両の通行を遮らずに、被災状況を間近で見学出来るようになった。
「全国的にも前例がなく、復旧を進めながら観光振興も両立する難しいプロジェクトだった」。設計に携わった日本設計九州支社(福岡市)の塚川譲さん(41)は振り返る。
熊本城は地下にも貴重な遺構が残り、 杭 を打つといった通常の工法は使えない。そこで、地表に金網を敷いて採石を敷き詰め、その上にコンクリートの土台を設置する「置き基礎」と呼ばれる工法を活用した。柱1本で通路を支える特殊な構造も採用し、樹木を極力伐採しないことにも気をつけ、針の穴を通すように全長約350メートルをつなぐルートを設定したという。
熊本城の有料エリアの来場者数は15年度には177万人を超えたが、地震後は入場を規制。19年に見学を再開後、新型コロナ禍にも苦しんだが、特別見学通路の完成や天守閣の公開が呼び水となって増加を続けてきた。塚川さんは「熊本を訪れるたびに街に活気を感じる。にぎわいの創出に貢献できたならうれしい」と笑顔を見せる。
市は今後も積極公開を進める方針で、岩佐課長は「被害の記憶を継承しながら、復旧への理解を深めてもらうためにも取り組みを続けていく」と力を込めた。
焼失した首里城でも取り組み
全国の被災した城郭でも、復旧の過程を積極的に公開する動きが広がっている。
2019年の火災で正殿が焼失した首里城(那覇市)は、沖縄県の担当者が火災翌月に熊本城を視察。本殿を囲む 素屋根 の内部にガラス張りの見学エリアが整備され、首里城公園内には、焼け残った柱や瓦が見られる展示室も設けられた。
21、22年に福島県沖を震源とする地震で石垣が崩落するなどした国指定史跡・仙台城跡(仙台市)では、復旧費の一部を賄うために行ったクラウドファンディングのリターン(返礼品)として、今月6日から寄付者を対象に解体現場を公開している。仙台市も熊本に職員を派遣し、公開方法などを学んだという。
熊本城の復旧計画策定に携わった蓑茂寿太郎・東京農大名誉教授(造園学)は「文化財の保護や見学者の安全確保などに対応しながら公開を実現した熊本城の経験は、多くの被災地にとって参考となる」と話している。