「あの日、夕食を準備する時間になっても、一向に現れませんでした。部屋まで呼びに行ったら、あいつは首を吊っていました」(A氏)
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悲劇は2021年6月30日、海上保安庁の「第11管区海上保安本部」(沖縄県)に所属する巡視船「ひさまつ」内で起きた。亡くなった佐藤創さん(仮名・20)は、この年の3月に配属された新人だった。
佐藤さんの死は長らく秘匿されてきた。ようやくその事実が公になったのは昨年12月のこと。海保は佐藤さんの自殺の原因にイジメがあったことを認めた。故人へのパワハラを行ったとして、「ひさまつ」の乗組員だった航海士のBを停職2カ月、機関士のCを減給2カ月の懲戒処分としたことを発表した。
「佐藤の死を公表するまで2年半を要したのだから…」
遺体の第一発見者は佐藤さんと巡視船で同部屋だったA氏。同僚の自死を目の当たりにしたショックで海保を去ったA氏は、なぜ今つらい記憶を語るのか。
「佐藤の死を公表するまで2年半を要したのだから、事実関係を調査して適切な処分が下されるものと期待していました。しかし、この大甘処分では、再発防止は覚束ない。佐藤の死を無駄にしないためにも、お話しする決心を固めました」
巡視船「ひさまつ」が所属する第11管区について社会部記者が解説する。
「主な任務は、沖縄県を中心とする沿岸警備で、尖閣諸島周辺や東シナ海などが管轄です」
この管区内の「宮古島海上保安部」に佐藤さんが配属されたのは、21年3月下旬。海保関係者が語る。
「大分県出身で3人きょうだいの長男。マイペースでおっとりした性格でした。海上保安学校で情報システム課程を卒業。通信士を夢見ていました。着任直後に誕生日を迎えて20歳になり、『ようやくタバコが吸える年齢になりましたよ!』と喜んでいました」
身長170センチ弱。細身の男性アイドルのようだったという佐藤さんは“海の警察官”らしからぬ趣味を持っていたという。
「カフェやハンバーガーショップが好きなオシャレ男子。宮古島は小洒落た店が多いので、休日は、彼女と一緒にカフェ巡りを楽しんでいた。ニンテンドースイッチのマリオゲームも好きでした」(A氏)
夢への1歩を踏み出した佐藤さんだったが――。
「着任間もない4月から、共に40代の航海士Bと機関士Cの2人から、イジメを受けるようになったのです」(前出・海保関係者)
新人が最初に担当するのは、船舶の出入港作業。
「佐藤は少し不器用なところがあり、船舶のロープを桟橋に結びつける巻き方や、錨を降ろす作業で手間取ったりしていました。すると、ミスをする度に『何やっているんだ馬鹿がっ!』とBから怒鳴られるようになりました」(A氏)
イジメは、次第にエスカレートしていった。
「お前、死んでくれんか? 俺の名前を遺書に書いていいからさ」
同年5月下旬、「ひさまつ」は、山口県内のドックへ入港し、約1カ月の船体整備に入った。
「ペンキ塗りなど簡単な整備作業は、乗組員が担当します。作業中に佐藤がミスをしたのか、『この馬鹿やろうが!』とヘルメットの上から、スパナやゲンコツで殴られていたこともありました」(前出・海保関係者)
事故に備えてヘルメットにガムテープを貼り、氏名と血液型をマジックで記入して作業にあたるというが、
「Bは佐藤のヘルメットの名前の部分に宮古島の方言で“大バカ者”を意味する『フスグドゥン』と書き込み、さらし者にして勤務させていました」(A氏)
機関士のCからも陰湿なイジメを受けていたという。同年6月、佐藤さんのミスにこんな罵声が飛んだ。
「お前、死んでくれんか? 俺の名前を遺書に書いていいからさ、なぁ?」
さらに、「馬鹿がうつるから直接話したくない」と、佐藤さんを無視しはじめ、必要な指示は他人を介してするようになった。
「佐藤は『新人をイジメて何が楽しいんですかね』と愚痴っていた」(A氏)
財布や電子タバコが入った佐藤のズボンと靴を海へ投げ捨てている姿がカメラに映っていた
そして決定的な“事件”が起きる。6月下旬に寄港した那覇でのことだ。
「自由時間を過ごした乗組員たちが船に戻って来たのが午後10時頃。その後も食堂で、佐藤やBら4人で焼酎を2時間ぐらい飲んでいたら、酩酊した佐藤が吐いてしまった。僕は同じ船室なので、風呂で介抱した後に寝かしつけました」(A氏)
翌朝、佐藤さんが慌てた様子でA氏に告げた。
「先輩、財布が無くなったんです!」
他の乗組員の協力も仰ぎ、外国船籍との不慮の事態を想定して船内外に多数設置されたカメラも確認した。すると……。
「Bが甲板から、財布や電子タバコが入った佐藤のズボンと靴を海へ投げ捨てている姿がしっかり映っていたのです」(A氏)
あまりの仕打ちに激怒したのはA氏だった。佐藤さんに「任務が終わったらすぐにパワハラを告発しよう」と持ちかけた。だが佐藤さんは「もう全てがどうでも良くなってきました」とひどく肩を落としていた。
そして、6月30日の午後6時45分頃。
「食事の準備の時間なのに、佐藤がいつまでたっても来ないので、寝過ごしたのかもしれないと私が呼びに行きました」(A氏)
部屋は、巡視船の最下層で、食堂の下の階に位置する。広さわずか5畳ほどの部屋は窓がなく、電気をつけないと昼間でも真っ暗だ。A氏が階段を降り、部屋へ向かうとドアが不自然に半開きになっていた。洗面台用の灯りか、室内は薄明るい。ドアから覗けた机にも、正面の2段ベッドにも佐藤さんの姿は見当たらない。
「トイレかな?」
踵を返し、船内に2カ所あるトイレを探してみたがどちらにもいない。
「入れ違いになったかな」
再び部屋に戻ると、半開きのドアの奥で、小さな黒い丸椅子が倒れていることに気づいた。
丸椅子を片付けようとA氏は部屋に足を踏み入れた。そこで、ようやく天井から吊り下がった佐藤さんの姿に気がついた。
スマホには『みんな迷惑かけてゴメン』と、送信されずじまいのメールが
「『佐藤! 佐藤!』と叫びながら、両足を抱え、なんとか下ろしてあげようと持ち上げたのですが……。彼のスマホには『みんな迷惑かけてゴメン』と、送信されずじまいのメールの下書きが残っていたそうです」
大甘処分に疑問を感じ、告発に至ったA氏はそう言って悔しそうにうつむいた。
海保は取材に対し、パワハラ自殺の事実関係を認める
遺族の悲しみはさらに深い。佐藤さんの祖母は、涙ながらにこう訴える。
「ウチは仕事で父親が家に帰れるのは年に1回ぐらい。母親が女手一つで3人の子育てをしてきた。優しいあの子が親代わりで、中学生の妹と小学生の弟の面倒を見てきた。あの子を亡くしたつらい思いは、他の誰にも味わってほしくないよ。あの子は『バアちゃん、バアちゃん』と人懐っこくて優しい性格でね……」
海保は取材に対し、パワハラ自殺の事実関係を認めた上で、以下のように回答。
「(公表に時間がかかったことに関し)当時の状況確認等を把握すること及び慎重かつ厳正に調査を行ったことから必要な時間を要したものです。(処分について)事実関係を厳正に調査し決定したものであり、公務秩序維持の観点から適正な処分であると考えています」
海保が守るべきものは何なのか。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年2月15日号)