受刑者による暴行死事件の起きた福島刑務所を、歌手で俳優の杉良太郎(79)が視察と指導のために訪れたのは2023年11月のことだった。『遠山の金さん』をはじめとする数多の時代劇で活躍してきた杉は、国内外での福祉活動に取り組んできた。2008年からは法務省の特別矯正監に就任。刑務所での任務にかける思いを本人が明かした。(聞き手・構成 音部美穂・ライター)
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「分かっているなら、なぜやらない?」
シンと静まり返った部屋に、怒りのこもった低い声が響く。
昨年の11月1日、福島県福島市の福島刑務所には、官服に身を包んだ杉良太郎(79)の姿があった。法務省の特別矯正監としての視察と指導のためだ。矯正監とは刑務官の階級のうち最上位にあたる。これまでも幾度となく、杉は全国の刑務所に足を運んできた。
今回、福島刑務所を視察したのには理由がある。あまり知られていないが、じつは2022年3月、ここで60代の男性受刑者が他の受刑者から集団で暴行を受け、死亡する事件が発生。地元誌「政経東北」によると、死亡した男性は脳梗塞の影響で失禁を繰り返していたが、同室の受刑者がこれに苛立ち、日常的に殴る蹴るの暴行に及んでいた。被害者は複数回にわたり転室を願い出たにもかかわらず、刑務官が放置したとも報じられ、事件に至るまでの対応も問題視されている。
福島刑務所は2000年代に受刑者の過剰収容が問題となった際、多数の職員を雇用したが、法務省はそれ故に刑務官への教育が不十分だったのではないかと考えた。杉が自ら足を運んだのは人材育成と指導のためだった。
「受刑者をきちんと見ていれば察知できるはずだろう。どれだけ仕事をおろそかにしていたのか……。見て見ぬふりしたことが、後で必ず問題になる。こういうことを言うと、みんな口では『分かっている』というが、分かっているならなぜやらない? 分かっているなら、ちゃんとやりなさい」
視察に同行した法務省の矯正局長や福島刑務所を管轄する仙台矯正管区長、同刑務所の幹部職員らへの訓示として、杉は事件に触れ、こう述べた。落ち着いた口調ながら、その言葉は危機感に満ちていた。
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今年、芸能活動60周年を迎える歌手で俳優の杉良太郎。『遠山の金さん』をはじめとするテレビ時代劇や舞台で活躍する一方で、長年にわたり国内外での福祉活動に取り組んできた。本連載では彼の知られざる人間関係と人付き合いの流儀を明かす。最終回は、福祉編。今回、本誌は福島刑務所への同行取材を通じて、杉が特別矯正監の任務にかける思いを目の当たりにした。
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「それでプロといえるのか?」
福島刑務所は福島駅から車で約20分。おもに窃盗や薬物事案などの男性受刑者を収容している。
高いコンクリートの壁で囲まれた広大な敷地の中には何棟もの建物が建つ。外の世界に通じるエリアと受刑者の生活の場は二重の頑丈な扉によって厳重に隔てられていた。
受刑者の部屋は清潔に保たれている一方で、独特の生活臭が鼻をつく。木工や園芸などの作業場では、刑務官が監視する中、受刑者たちが黙々と手を動かしていた。屈強な体付きの若い男性から首筋にタトゥーの入った鋭い目つきの外国人、後期高齢者と思しき年齢の者までさまざまだ。彼らは杉が通りかかっても、誰も顔を上げず、一瞥すらしない。もちろん会話することもない。
そんな中で、杉は遠慮なく本音を次々と炸裂させる。
「園芸をやって娑婆に戻った時に仕事があるのか? 資格を取らせることのほうが再犯防止になるんじゃないか」
刑務所内のあちこちに設置されている監視カメラ。そのモニターがずらりと並ぶ監視室に足を運べば、ズーム機能がなくモニターが見づらいことを指摘した。
「モニターが古いんだな。本省に言って予算をつけてもらわないと。ただ、性能の良いものに変えてもそのモニターを見るのは人間だということは忘れちゃいけない」
受刑者と日々接している現場の職員への訓育指導でも、容赦はない。
「昔、受刑者は自分よりも若い刑務官を“先生”とか“オヤジさん”と呼んでいた。刑務官はそう呼ばれるくらいの度量を持ち合わせていたということだ。『この人についていこう』と受刑者が思えるような人間関係を構築できなければ駄目だ。
今の若い人は自分のことばかり考えて、他人とのコミュニケーションを面倒くさがる。それでプロといえるのか? アマチュアかもしれないのに勘違いしていないか? ここの受刑者のほうがよっぽど世の中を知ってるんだよ」
厳しい言葉をかける一方で、最後には、職員を慮った発言もあった。
「みんな頑張れよ、何かあったら手紙くれよ」
最後には穏やかな表情で、職員たちに手を振って刑務所を後にした杉。その姿は、まるで現代社会に舞い降りた遠山の金さんだった――。
「遠山の金さんを見ているか」
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杉と刑務所との接点は、60年以上前に遡る。歌手を夢見てのど自慢大会に出場していた15歳の頃、地元神戸の少年刑務所などを慰問したのが始まりだった。デビュー後も一日刑務所長を何度も務め、その功績を認められて、2008年には特別矯正監を委嘱される。長い歳月の中で育まれた法務官僚との交友は、時に杉の活動を支える力にもなっていた。
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僕が法務官僚によく言っている言葉がある。
「遠山の金さんを見ているか」
金さんは、裁判官、検事総長、消防庁長官、法務省の矯正局長すべてを1人で兼ねているんだ。そして正しい判断をするために、普段から庶民に紛れて市井の情報を集めている。だから僕も、政治家や官僚のような影響力を持つ人たちと付き合う一方で、世間に名を知られていないけれど現場で奮闘してこの国を支えている人の所に行き、情報や喜怒哀楽を共有したい。そうじゃないと、現場の実情を知らないくせに分かったつもりになってしまうでしょう。それが一番嫌いだ。だから僕は、現場に行くことにこだわり続けている。
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法務官僚の中でも長い付き合いがあったのが、検事総長を務めた原田明夫(2017年没、享年77)。原田は、ロッキード事件で米司法省との折衝役を担い、鈴木宗男あっせん収賄事件の捜査の指揮を執った人物だ。
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初対面の時、原田さんは法務省の人事課長だった。仕事の件で僕の家に来てくれたんだけど、彼の顔を見るなり僕はなぜかピンときた。
「原田さん、将来検事総長になるね」
「いやいや、やめてくださいよ。そんなことはあり得ません」
「僕には分かる。あなたはきっと検事総長になる」
原田さんはえらく恐縮していたけれど、僕の予言は当たり、2001年に検事総長に就任。お祝いを伝えに検事総長室に行った。
「原田さん、本当に検事総長になったね。まだ人事課長だった時に、僕が予言したのを覚えてる?」
そう尋ねたら原田さんは「はぁー、恐れ入りました」と、またまた恐縮してしまった。偉ぶったところがなく、いつも穏やかな笑みを浮かべている人だった。
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前検事総長の林眞琴とも、矯正局時代からの付き合いだ。林は、旧監獄法の改正や検察改革にも取り組み、その手腕から検事総長候補とも目されていたが、刑事局長を務めていた2018年、名古屋高検検事長に転出。異例の人事の背景には、組織改編をめぐる省内対立があったと報じられている。だが2年後、東京高検検事長だった黒川弘務が賭け麻雀問題で辞職したのに伴い後任に就いた。
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林さんは信念をもって省内改革に挑んでいたのに、その熱意が伝わらなかった。彼は政治家にこびずにハッキリとものを言う人だから、上に可愛がられるタイプじゃない。だからこそ、僕は面白いと思っていた。
黒川さんの辞任によって林さんは東京に戻って来られたけれど、それがなければ、どうなっていたか分からないだろう。だから彼が検事総長に就任した時、僕は伝えたんだ。
「林さん、本当は法務次官になって省内改革をしたかったかもしれないけれど、これでよしとしなきゃ。検事総長として、やりたいことに介入していけばいいじゃないか」
林さんは「そのようにやっていきたいと思います」と言った。林さんのように信念を貫く人が報われる仕組みに省庁が生まれ変わらなければ、本当の意味での改革は果たせないと僕は思っている。
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本記事の 全文 、および杉良太郎の連載「人生は桜吹雪」は『文藝春秋 電子版』に掲載されています。
■杉良太郎 連載「人生は桜吹雪」 第1回 「安倍さんに謝りなから泣いた」 第2回 「住銀の天皇の縋るような眼差し」 第3回 「江利チエミか死ぬほと愛した高倉健」
最終回 「『筋金入りのお方ね』美智子さまのお言葉に感激した」
(杉 良太郎/文藝春秋 2024年3月号)