福岡県志免町の自宅で息子(当時9歳)の首を絞めて殺害しようとしたとして起訴された母親(当時30代)の裁判員裁判。福岡地裁は30日、保護観察付きの執行猶予判決を言い渡した。我が子を手にかけようとした母親、その背景には何があったのか。傍聴して見えてきたのは母親の生きづらさと障害を持つ息子への愛情だった。
当時9歳の息子の首を絞め殺害しようとした母親
2023年10月、無職の母親(当時30代)は福岡県志免町の自宅で息子(当時9歳)の首を携帯電話の充電コードで絞めて殺害しようとした。息子は顔などに重傷を負ったが、命に別状はなかった。
事件当時、母親は自ら「息子を殺しました」と警察に通報。取り調べに対し「一緒に生きていく気力が無くなった」という趣旨の供述をしていたという。
28日から3日間の期日で開かれた裁判員 裁判検察側は「一緒に死のうと思い犯行に及んだ」と主張
28日に福岡地裁で開かれた初公判。被告である母親は「違うところはないです」と起訴内容を認めたうえで、落ち着いた様子で検察側の冒頭陳述に耳を傾けていた。
検察側は、同居する両親と発達障害がある息子を養育していた被告が、おととし以降、両親が相次いで施設に入所したうえ、去年夏ごろに被告自身も無職になり、不安や孤独感を抱えていたと主張。2023年10月、学校を休みがちになった息子の気持ちを理解できず、「一緒に死のうと思い犯行に及んだ」と述べた。
また、犯行時の状況については、二重にした充電コードで息子の首を絞め、息子の呼吸が浅くなったことで放置していても死ぬと考え、自分の首を包丁で切りつけながら110番したと説明した。
被告人質問で明かされた境遇 大好きな両親と離れ「ぽっかりと穴があいた」
20代で結婚した被告。離婚して実家で両親と暮らすことになった後、息子を出産。言葉をなかなか話せるようにならなかった息子は、知的障害「B2」と判定された。同居していた被告の母親にはうつ病の症状があり、統合失調症の診断も受けていた。
また、被告の父親は脳梗塞の後遺症で右半身が麻痺。被告自身も20歳前後から不眠症などで精神科に通院する生活を送っていた。それでも両親、息子と過ごす日々は被告にとって支えになっていたという。
ところが、2022年8月に被告の父親が施設に入所。さらに母親も同年12月に入院し、2023年6月には父親と同じ施設に入所することになった。
弁護側から「介護の負担が減ったのでは?」と問われた被告は「逆ですね。大好きな両親と他愛もない話をしていたのが一人、また一人といなくなって孤独を与えられたような。施設にいるので安心はありますけど、家にいないことでどんどん不安になって心にポッカリ穴が開いたような感じになった」と振り返った。
毎日登校に付き添い、体調不良を押して一緒に花火大会にも…息子の思いに応える被告
親一人子一人での子育てを余儀なくされた被告は、息子にできる限りの愛情を注ぐ。登校時は毎日学校まで付き添っていた。1人で登校できないわけではなかったが、「事故に遭うんじゃないかと思ったり、一緒にいられる時間は一緒にいたいと思ったりしたので散歩がてら送っていた」という。
逮捕後の鑑定留置でパニック障害と診断された被告。法廷では人混みが苦手だが、去年の夏には、息子から「花火大会に行きたい」と請われ、一緒に出掛けたエピソードも明かした。
「(花火を会場近くの)駐車場で見ようと思ったんですけど、想定以上に人が集まってくると動悸や吐き気、苦しさを感じたので息子に『ママ、具合が悪いから離れて見てもいい?』と聞いたら、『もちろん大丈夫』と。結果的に別の場所で見たときに息子が感動して泣いてくれたり『ありがとう』と言ってくれたりしたこともあった。いい子すぎると思った」
追い込まれていった被告体重12キロ減で周りからは「病的に痩せている」
被告人質問では、被告が徐々に精神的、身体的に追い込まれていった状況も明らかとなった。
1年ほど前からはそれまでの2倍の睡眠薬を服用し、午後10時に就寝しても、午前0時から2時に目が覚めてしまう。1日2~4時間しか寝ることができない日々で、被告は「睡眠という形では捉えられなかった」と話した。重ねて食事ものどを通らなくなっていた。
事件前は「朝にカロリーメイトとか、息子と一緒に夕食を食べるときにお茶碗1杯のご飯を食べる程度」。約3か月で体重が12キロも減り、身長153センチの被告は事件当時、体重36キロまで痩せていたという。
周囲に発したSOS救いの手は差し伸べられず…「死んでしまいたい」
孤独と不安の中で子育てをしていた被告。体調の悪化に入院することも考えたが、すでに両親は施設に入所していたため、自分が入院すると息子が1人に。息子から「ママ入院しないで」と言われ、入院は断念せざるを得なかった。当然、周囲に助けを求めることもあった。
息子が通う放課後デイサービスの職員に相談すると「(あなたは)うつだから動かないで。無理なことは一切しないで」と言われた。
母親の姿を見て、うつ病については理解していたが、自身がうつ病であるとは思っていなかった被告は、「相談したのに全否定されたように感じて、そのときぷつんと切れた感じになって、今までしてきたことができなくなった」
精神科医に相談した時も「あなたはうつだよ」「あなたが受けられるカウンセリングはない」と突き放されたように感じ、追い込まれていったという。「死んでしまいたい」という気持ちが頭に浮かぶこともあった。
「何とも言えない幸せがあった」幸福を感じる中で及んだ凶行
事件当日、ベッドで横になっていた被告は、息子から「ママ、うまかっちゃん作って」とインスタントラーメンをせがまれたが、疲れていてすぐには動けず、少し待ってもらうように伝えたという。息子にベッドまで来るよう声をかけ、腕枕をしながら言葉を交わしていると「安心して眠ってしまって。寝顔を見るとかわいいし、何とも言えない幸せがありました」(被告)。
被告はその直後に犯行に及んだ。なぜ愛情を注いできた息子を手にかけようとしてしまったのか。
被告は「息子に対する気持ちと自分の生きづらさがぶつかり合ってはじけてしまいました。私じゃない自分の制御ができなくなってしまった」と当時の心境を明かした。
たまたま目に入った携帯電話の充電コードを手にしたり置いたりを繰り返し、葛藤しながら「どうしてこんなことをしないといけないの」と自問自答したが、「死んでしまいたい」という衝動が抑えられなかった。
二重にした充電コードで息子の意識がなくなり呼吸が浅くなるまで息子の首を絞めた。そして、キッチンの包丁を手にとり、自らの首を切りつけたという。
生々しい通報記録に被告の涙
法廷では、息子の首を絞めた後、被告自身がかけた警察への通報時の音声記録が検察側によって公開された。
「息子を殺しました」
覇気のない被告の声と少しでも情報を引き出そうとする警察官の声。音声記録には生々しいやり取りが残されていた。
警察)息子さんもいるの? 被告)います
警察)住所はどこ? 被告)・・・・
警察)もしもし? 被告)・・・・
警察)住所言える? 被告)・・・・
警察)もしもし、もしもし? 被告)・・・・
警察)住所言える? 被告)※住所を伝える
警察)息子さんいくつ? 被告)9歳
警察)意識はない? 被告)首は絞めちゃったけど意識はあります
警察)子供は1人? 被告)はい
警察)会話はできている? 被告)できているけど、脳に血流が回ってないかも
警察)会話はできている? 被告)できています
警察)手で絞めた? 被告)ひもです 息子)ママも血が出てる
警察)どこから? 息子)首から。ママも一緒に入院しよう
音声記録には、意識を取り戻した息子の声も。当時のことを思い出したのか、被告は思わず涙を流していた。
結果的に息子は全治約1か月の頭部・顔面うっ血等のけがをしたものの、命に別状はなく、被告は「我に帰れた。意識を取り戻してくれて感謝しました」。あと少しで取り返しのつかないことをしていたと改めて悔いていた。
「ママへ」法廷で読まれた息子からの手紙
法廷では弁護側から息子が被告に宛てた手紙が紹介された。
「ママへママと会えなくて寂しいけど(中略)ニコニコですママもニコニコしていてね」
手紙が読み上げられると涙ぐむ裁判員の姿も見受けられた。
現在、息子は児童養護施設で元気に生活しているという。「もともとペーパークラフトなど1人で遊ぶことができる子だったけど、今までに聞いたことがなかった野球に興味を持ったと聞いて成長したなと思いました」(被告)
検察側が殺人未遂事件としては異例の保護観察付き執行猶予を求刑
29日の論告で検察側は「たった1人の頼れる存在の母親に首を絞められて将来の育成に悪影響を与える可能性がある」、「子供を一人で残してはいけないという一方的な考えで犯行は身勝手というほかない」としつつ「被害者である息子は被告と生活することを望んでいる」として懲役3年、保護観察付きの執行猶予を求刑。
一方、弁護側は「被告は不眠症やパニック障害、適応障害で肉体的にも精神的にも追い込まれていた」「二度とこのようなことを起こさないためには治療と支援が必要」と主張し、執行猶予付きの判決を求めていた。
裁判長から最後の意見があるかと尋ねられた被告は「一番苦しいのは息子に手をかけてしまったことで私の存在を少し悲しいものにしてしまったことです」。
さらに「この日まで経って生きていけるのは手紙にあった『ママに会えなくて寂しい』という優しい息子の存在がまだあると思うから。私は『生き方を間違えたのではなく、守り方を間違えた。』これからも大好きな、愛する息子と生きていきたい」と述べた。
保護観察付きの執行猶予判決裁判長は「焦りは禁物です」と被告を諭す
30日、福岡地裁の冨田敦史裁判長は「被害者を残しておけないという思いから無理心中しようとしており、一方的な考えで子の命を奪おうとすることは許されるものではない」と指摘。一方で「両親の施設入所を機に不安や孤独感を深め、精神状態を悪化させた経緯を見ると被告人だけにその責任を負わせることはできない」として、被告に懲役3年、保護観察付きの執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。
最後に冨田裁判長は被告に対し、静かに諭した。 「きょうの裁判の結果で、社会の中で人生をやり直すことになります。一日も早く息子さんと暮らしたいと思っていると思います。住まいと仕事を見つけることは大事です。でも、焦りは禁物です。まずは息子さんの気持ちを一番に考えてください。息子さんにとっては大変ショックな出来事だったと思います。自分では気づけない心の傷が残っているかもしれません。息子さんが受け入れられるようになるには、児童相談所の専門家の力を借りる必要があると思います。一緒に暮らせるようになるには時間が必要でしょうし、あなたの心や体の状態を安定させる必要があるでしょう。新しい生活を送るには専門家に相談しながら焦らずゆっくり進んでください」
裁判を傍聴して
被告はこれから更生保護施設に入り、新たな生活を送るための準備を行うことになる。不眠症などの治療を受け、将来的に息子とともに過ごす日々が戻ることだろう。無理心中を図って最愛の息子を殺害しようとした今回の事件。被告が犯した罪は決して許されるものではない。
しかし、周囲に悩みを相談しにくい環境下で、被告が発していた「SOS」を感じとり、支援の手を差し伸べることができれば、最悪の事態は防ぐことができたのではないか。
同じような事件を防ぐため、どんなに弱く、小さな「SOS」にも敏感に反応し、救いの手を差し伸べることができる社会が求められている。
(RKB毎日放送記者 小松勝)