鹿児島大空襲から79年 「人間之碑」に献花 91歳「髪が燃え、ひざはガクガク。戦争はむごい」

太平洋戦争末期、アメリカ軍による空襲で2000人以上が亡くなった鹿児島大空襲から17日で79年です。鹿児島市では、遺族らが亡くなった人に祈りを捧げました。
鹿児島市のみなと大通り公園にある「人間之碑」は、空襲で亡くなった民間人を慰霊する石碑です。
太平洋戦争中、鹿児島市は8回の空襲を受け、このうち、1945年6月17日の鹿児島大空襲では2316人が亡くなりました。
大空襲から79年が経った17日は、遺族や市の職員らおよそ30人が人間之碑に花を手向けました。
(鹿児島市遺族会・山元正光会長)「二度と戦争はあってはならないと強い気持ちを持っている」「語り継ぐ人が少なくなり、頑張っていかねばと思っている」
(13歳で鹿児島大空襲を体験 石神斉也さん・91歳)「突然起こされて着の身着のままで(外に)行った。油脂焼夷弾でしたから、油の塊がどんどん雨のように降ってくる」
鹿児島市では生協コープかごしまが「6.17平和のつどい」を開きました。
講演したのは石神斉也さん(91)です。13歳だった当時、自宅のあった加治屋町で空襲を受けました。
「水に濡らした布団をかぶり自宅から近くの甲突川に逃げ、空襲から免れた」と語りました。
(13歳で鹿児島大空襲を体験 石神斉也さん・91歳)「(自分の)髪が燃えてる。ひざはがくがく。本当に怖い思いをした」「戦争のむごたらしさを皆さん方と語り継いで、次に行動に起こしていくことが大切だと思っている」
参加者は、平和の尊さをかみしめていました。

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