安倍晋三元首相が、奈良市で街頭遊説中に凶弾に倒れてから8日で三回忌を迎えた。憲政史上最長となる計8年8カ月(計3188日)の長期政権は日本の政治史に大きな足跡を刻み、安倍氏の政治手腕や〝人間力〟は人々の心に刻まれた。共に働き、また対峙(たいじ)した政治家たちは今、何を思うのか。第2次安倍政権で歴代最長の7年8カ月、官房長官を務めた菅義偉前首相が夕刊フジの取材に応じ、追悼と新たな決意を熱く語った。 (聞き手・中村昌史、海野慎介)
◇
「もう、本当に安倍さんはいないんだな」
日々の中でふと、その姿が浮かび、こんな思いに駆られる。月日は飛ぶように早く経(た)ち、あっという間に三回忌を迎えた。2022年7月8日の「あの日」から、私の中の時計の針は止まったままのようだ。
昨年9月5日、一人で山口県までお邪魔して、墓参りをしてきた。安倍さんから頂いた多くの事に感謝し、ただただ安らかに眠ってほしい、と手を合わせた。
本当は、墓前で安倍さんと二人きり向き合うつもりだったが、地元後援会の方達がわざわざ、迎えに来られた。
「長い間、こういう人々に支えられていたんだ」
温かい気持ちで帰路に着いたが、「東京からあまりに遠くて、寂しいんじゃないか」と結局、物悲しくなった。いつも、周りに人がいる環境で生活していたので…。
「安倍首相」の姿に、とてつもない影響を受けた。雰囲気を含めて、本当に偉大な政治家。いつ、いかなる場合でも、冷静に全体像を見て、皆を勇気づけた。官房長官として、ともに歩んだ月日は忘れ難い。まさに、リーダーたる姿だった。
例えば、2015年に成立した平和安全法制(安全保障関連法)は〝大仕事〟だった。
「戦争法案」とそしりを受け、審議過程で激しい反対があった。委員会が開いては閉じ、日をまたいで国会に詰めた。とてつもない修羅場だった。緊張感に満ちた状況でも安倍さんはやはり、皆のことを気遣い、我慢強かった。
「平和安全法制ができなければ、日米同盟は機能しなくなる」。安倍さんは一貫してこれを心配していた。有事に日米がともに行動できない恐れがあるのは重大だ。平和安全法制が成立した意義は、本当に大きかったと思う。
安倍さんは早くから現在の日本の危機を予見していたのではないか。中国の海洋進出は激しくなり、核・ミサイル開発を強硬に進める北朝鮮、ロシアのウクライナ侵略など、わが国を取り巻く情勢は日に日に厳しくなっている。
「国家観」「歴史観」「大局観」。安倍さんは、政治家の基本として、これらを非常に大切にしていた。