「何か政治にうねりを起こしてくれそうだから」
東京都知事選の投票日の前日、麻布十番の駅前で、ペットだというフクロウを手にして、石丸伸二候補の街頭演説を聞き入っていた若い女性は、彼を支持する理由をそう表現した。
都内各所で開かれた集会にはどこも多くの人が集まり、石丸氏に対して激励の声をかけるなど、熱心な「ファン」のような人も目立つ。「彼なら変えてくれるのでは」そんな熱い期待を持っている人が多いことがうかがえた。
コミュニケーション戦略の視点で分析すると、今回の「石丸現象」にはいくつもの要因が浮かび上がる。
① まずは、やはり、わかりやすい勧善懲悪のストーリーを作り上げたことだ。居眠りする安芸高田市議らを「老害」として描き出し、徹底した対決姿勢を見せることで、世直しのために声を上げる「正義の味方」としてのポジショニングを確立。そうしたやり取りを積極的にSNSで発信し、それが、政治の腐敗や長老支配にへきえきする若年層の心をとらえた。ファンが自発的に、映像を切り取り、石丸氏をヒーロー化・神格化するかのような動画を量産。それが瞬く間に、拡散していった。
② 今回の知事選も、同様の構図だ。今回の仮想敵はいわゆる「政治屋」。そうした既得権益を持たない自分だけが、閉塞した事態を打開できる救世主であるかのように打ち出した。これはトランプが「自らは政治家ではなかった」「(大統領選出馬は)私利私欲のためではない」ことを強調した手法とよく似ている。
③ アピールポイントは無党派層にも刺さりやすい「経済」だ。自分がエリート銀行員のアナリストとして、アメリカで経験を積んだこと、そして広島県の安芸高田市で市長を経験したことなどを挙げ、「経済」と「行政」を知る人間だとアピール。そのうえで、「経済を知る初の都知事として、東京を経済都市として成長させていきたい」と強調した。
④ 遊説では意図的に、対立候補への批判を抑えたことが、若年層に支持された側面もある。淡々と自分の実績や変化の必要性を訴えるにとどめ、圧倒的に個人攻撃が少なかったのも特徴的だった。
これは、現職である小池百合子に徹底的な対決姿勢で臨んだ蓮舫氏との違いを際立たせる戦略とも考えられる。議員に対して、「恥を知れ」などと詰め寄ったYouTube動画の攻撃的なイメージとは打って変わったマイルドで「紳士的」で「冷静」な彼の振る舞い。「批判」を嫌うと言われる若年層の間に、「ギャップ萌え」を感じた支持者がいてもおかしくない。
⑤ 街頭演説では柔和な表情で若々しく、爽やかで、親しみやすいイメージを演出した。「怒り」を前面に押し出した蓮舫氏に比べると、序盤の口調は意外にもソフトで穏やか。後半にかけて、エネルギーを上げ、盛り上げていくスタイルで会場を沸かせた。具体的な政策は「動画を見て」とほとんど語らないので、一回当たりのスピーチは短く、簡潔だ。結果的に、都内各所で機動的に数多くの辻立ちをこなすことができ、支持の輪を広げた。
⑥ スリムで無駄のない体躯から、効果的なボディランゲージを多用した。例えば、手の平を上にして、前に大きく差し出す。これは、聴衆との一体感を醸成するポーズだ。終始、適度な大きさと頻度のジェスチャーで、堂々と、落ち着いた印象を与え続けた。
⑦ 彼のスピーチの最大の特徴は、聴衆に自己効力感や責任感を植え付ける工夫だ。「私が○○します!」「一票をお願いします」という「売り込み臭」や「お願いモード」を排除し、聴衆を主語にして、その行動を呼びかける。「みんなの力で日本を立て直しましょう」「自分自身に期待をしてみてください」「その力は小さくない」「みんなの力で東京を動かしましょう」「都民の奮起に期待します」「私たち世代が責任をもってこの国を立て直し、次の世代にいい形で渡してあげるしかない」といったように、その奮起を促したのだ。政治に絶望感を持つ層を勇気づけるレトリックだった。
このように、選挙戦の随所に埋め込まれた「応援したくなる」仕組みが、今回の「旋風」に結び付いたと考えられる。
一方で、選挙後早々の会見でメディアに逆質問をしまくり、食って掛かる対応が早くも、「パワハラっぽい」と論議を呼んでいる。ネット上では「パワハラそのもの」「本性出た。権力を与えたらもっと横柄になる」など早くも馬脚を現したと見る向きも多い。
自分の主張を一方的に展開する、相手を攻撃する場面では、強みを発揮しても、対話やチームワークには極端に弱い側面があるようにも見受けられ、この調子では、ブームが一過性のものになる可能性も少なくない。
他方、この戦いでは、「蓮舫氏が、自滅」し、石丸氏が自動的に浮上したという側面もあるだろう。当初は「赤いキツネと緑のタヌキ」などと揶揄され、激烈な女性同士の戦いになると注目された。しかし、筆者が7年前に「『怒りながら叫ぶ女』はどうして嫌われるのか 小池百合子氏と蓮舫氏には決定的な差がある」の記事中で、分析したように、蓮舫氏は残念ながら、コミュニケーション上、致命的な弱点を抱えている。
それは、女性の場合、「怒る女」は「怒る男」以上に徹底的に嫌われる、ということだ。
リーダーシップには、competence(有能さ)と、warmth(温かみ)の2つの要素が必要である。
この2つがバランスよく高い人が優れたリーダーということになるのだが、男性の場合、ある程度の「有能さ」が示されれば、「温かみ」についてはさほどなくても許される。多少冷たくとも、それは冷静さや決断力と解釈され、「温かみ」がないことはさほどのマイナス要因にはならない。
ところが、女性リーダーにとって「温かみ」の欠落は死活問題。少しでも怒りを見せれば、「ヒステリック」「気が強い」とラベルを貼られるのだ。まさにヒラリー・クリントンは同じ理由で大統領選を敗退した。
筆者は小池氏のコミュニケーションについても散々、研究してきたが、その強みは、決して怒りを見せないことだ。言葉の選び方、オーラの作り方、場のさばき方など、さまざまな工夫が凝らされ、確固たる計算に基づいて戦略的にコミュニケーションが行われている。今回の勝利は、始まる前から自明の理だった。
対峙する蓮舫氏はそうしたハンデを抱える中で、選挙戦の戦略も完全に取り違えていたと言わざるを得ない。「小池氏が討論会に出てこない」など些末な点を繰り返し、いつもの「批判ばかり」のイメージを増幅させた。
遊説では、応援弁士たちが40分近く感情的に自らの苦境を訴えたり、都政・国政批判を繰り広げた後に、ようやく本人が登場するいわゆる従来型のスタイル。暑い中、待たされる身も辛いし、コア支持層、党派色満載で、無党派層は興ざめすることは間違いなしだった。
立憲民主党の菅野志桜里氏はXで「共産党の存在をベースにした独特のフェス感が一般市民への浸透を妨げていた」と指摘。千葉県の熊谷俊人知事も、同じくXで「共産党とタッグを組んだことは選挙戦術としては理解しますし、共産党の政策は(私たち行政サイドから見ると無理筋でも)それ自体は否定されるものではありませんが、中間層・保守層はついていけません」と表明したが、まさに、同じ思いを抱いた人は多かったことだろう。
選挙戦とは、本人の話し方、メッセージ、印象マネジメントから、集会の開き方まで、まさに膨大なコミュニケーション戦略の蓄積の上に立つ心理戦・情報戦だ。単なるSNSの活用や党や組織としての集票活動で総括される単純なものではもはやなくなっている。今回の都知事選の投票率は、前回を5.62ポイント上回り、60.62%に達したという。
せっかく目覚めた若年層や無党派層の関心をこれからどう維持するのか。コミュニケーション戦略の観点からも、確かに新しい「うねり」を感じさせる興味深い選挙戦だったといえるだろう。
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(コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師 岡本 純子)