先進国の中で投票率がもっとも低い国のひとつといわれる日本。1990年頃までは7割前後の有権者が選挙に足を運んでいた(衆議院議員総選挙)ものの、なぜこれほどまでに政治離れが進んでしまったのか。
ここでは、日本有数の実業家として知られる出口治明氏の著書『 「教える」ということ 日本を救う、[尖った人]を増やすには 』(角川新書)の一部を抜粋。日本の投票率が低い決定的な理由、そして、低投票率がもたらす悪影響について紹介する。(全2回の1回目/ 続き を読む)
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なぜ日本は「先進国の中で投票率が低い」のか
選挙は議員を選んで立法府をつくるものですが、立法府が定めた法律で行政や司法が動いていくわけですから、政府をつくるのは選挙であるといっても決して過言ではありません。
この基本が腹落ちすれば、選挙で「何をすべきか」がよくわかります。
政府は市民の手でつくるものであり、その政府をより良くつくり変えるための手段が選挙です。政府に任せっ放しにするのではなく、個人個人が自分の頭でよく考え、友人や知人と議論した上で、その結果を示す行動が選挙です。
ですから、選挙のしくみ、法規、衆議院・参議院の定数などといった、試験問題に答えるための知識だけでは決定的に不十分で、
「選挙のとき、具体的にどう行動すべきか」
「『投票しない』という選択を取ることは、どういうことか」
「政治家とは、何をする人なのか」
などといった本質的な問題についても教えることが大切です。
日本は、「先進国の中で投票率がもっとも低い国のひとつ」といわれています。
OECDの2016年の報告書では、国政選挙の投票率は、加盟国平均が約66%ですが、日本は、スイス、ラトビアに続きワースト3位の約52%です。
また、世界200カ国・地域で行われた選挙の投票率を公表している国際NGO「民主主義・選挙支援国際研究所」の公表データ(2019年)によると、日本の投票率は、200カ国中158位という低さです(当時のOECD加盟36カ国の中では30位)。
北欧のスウェーデンは、若者の選挙・政治参加意識が高いことで知られています。スウェーデンでは、政治や選挙に関する基礎教育が充実しており、小学校で使われている社会科の教科書には、次のように書かれています。
〈 投票は自主的なものです。そして、それは独裁制の国に住む人々がもっていない民主制の権利です。
人々は、ある政党の主張のすべてに賛成できなくても、彼らがもっとも重要であると思う問題についてよい意見をもっているとすれば、その政党に投票します。
(出典:『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む 日本の大学生は何を感じたのか』ヨーラン・スバネリッド 著、新評論)〉
スウェーデンの子どもたちは、小学生のときから選挙や政党政治の利点・欠点を学び、選挙を「自分の意見を表明できる機会」として捉えているのです。
「白票や棄権は、現在の政治を信任することと同じ」というファクト
日本の投票率が低いのは、政治や選挙に関するリテラシーが低いからです。
たとえば、国政選挙の投票日に、「選挙に行っても世の中が変わる感じがしない」「ロクな候補者がいないから、投票には行く気がしない」などと無関心を口にする人こそ、率先して選挙に行くべきです。
なぜなら、「世の中が変わる感じがしない」と不満を抱くのは、「今の政治は良くない」と思っているからです。「世の中が変わる感じがしない」のなら、そこであきらめるのではなく、政府をつくり直す努力をするべきです。
日本のメディアは、「棄権が増えるのは、政治不信が増しているからです」といった論調ですが、僕の考えは違います。
かつてロンドンに住んでいたときに、次のような話を聞きました。題して、「選挙の仕方」。
(1)選挙では、必ず事前予想が出る(ロンドンっ子は、お金を賭けていますね)
(2)その予想通りで満足なら、3つの方法がある。投票に行ってその名前を書く、白票を出す、棄権する。この3つの方法のどれを採っても結果は同じになる
(3)事前予想に不満なら、あなたの意思表示の方法はたった1つしかない。投票に行って違う名前を書くことである
(4)以上が、選挙の仕方のすべてである
僕は、こういったシンプルな知恵を子どもたちに学校で教えるべきだと思います。
「ロクな候補者がいないから投票には行く気がしない」と考える人は、前提(「候補者は立派な人ばかりであるはず」)が根本から間違っています。そもそも選挙は、「より良い人」を選ぶための制度ではありません。100年以上前の話ですが、英国の名宰相、ウィンストン・チャーチルが、次のように明言しています。
「自分を含めて選挙に立候補するのは、目立ちたがり屋やお金儲けをしたい人など、ろくでもない人ばかりである」
「選挙というのは、こういった信用のおけない人たちの中から、相対的にマシな人を選ぶ忍耐のことである」
「したがって、民主政は最低の政治形態である。ただし、これまで試されてきた王政や貴族政など過去の政治制度を除けば」
こういうリアリズムが理解できれば、投票は簡単です。女性議員が少ないのなら、女性の候補者に投票すればいい。若い議員が少ないのなら、若い候補者に投票すればいい。
市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも、「100%満足はできないけれど、他の候補者に比べれば、多少はマシ」な政治家を選ぶことです。
これらのことがわかっていれば、「良い候補者がいない」からといって、白票を出したり、棄権したりするといった誤った結論には至らないのです。
政府と市民は、対立するものではありません。政府は市民がつくるものなので、今の政府が気に入らなければ、選挙に行って政府をゼロからつくり直せばいい。そして、新しいルールをつくればいい。政治を変えるのは自分たちの1票であることを小学校や中学校で教える必要があるのです。
低い投票率は「改革できない社会」をつくる
どのような社会でも、政府からお金(補助金など)をもらっている人(既得権益者)が全体の20%ぐらいはいるそうです。一般に彼らは後援会をつくって政権与党に必ず1票を入れます。なぜならそれが既得権を守ることにつながるからです。
わが国のように、投票率が50%ぐらいだと政権与党が圧倒的に有利になります。100票のうち既に20票を押さえているわけですから、あと5票取れば過半数に達します。新人は25票取らなければ勝てません。その差は実に5倍です。これでは新人の参入意欲がわかないでしょう。
その結果、わが国では世襲議員が5割を超える異常事態を招いています(G7では世襲議員が1割を超える国はないといわれています)。後援会に推された世襲議員が改革を行うはずはありません。だからわが国は「改革できない」社会となっているのです。
一方、投票率の高いヨーロッパの先進国並みに80%に上がったと仮定してみましょう。政権与党の候補者はあと20票上積みする必要があります。新人は40票取る必要がありますが、2人の差は2倍です。2倍なら、「頑張ってみよう!」という新人候補者が出てくるかもしれません。
つまり、投票率が上がれば政治に新しい血が導入される可能性が高くなるのです。わが国でも、明治時代は投票率が9割を超えることも珍しくはありませんでした。改革が進まないのは投票率が低く、政治に新しい血が入らないことが根本的な要因です。
50%のケースと、80%のケースの違いは、是非学校でも教えるべき重要なポイントだと思います。
〈 「厳しいことを言わせていただければ、今すぐ辞表を書くべきです」…ライフネット生命創業者が明かす“飲みニケーション”をしてはいけない4つの理由 〉へ続く
(出口 治明/Webオリジナル(外部転載))