「私は今でも風評被害だと思っています」
東京エレクトロン(神奈川県)の井上聖一社長(74)は言った。
同じ社名で世界的に有名な半導体装置大手があるが、そことは違う。トイレに設置されているハンドドライヤーの製造会社である。社員5人の中小企業だ。
ハンドドライヤー業界は新型コロナウイルス禍で大打撃を受けた。スーパーやレストラン、ホテルといった各業界団体が2020年5月以降に作成した感染防止ガイドラインに軒並みハンドドライヤーの使用禁止を盛り込まれたからだ。
東京エレクトロンの売り上げは例年の1割ほどにまで激減した。
井上社長は納得できなかった。
ハンドドライヤーの使用について、世界保健機関(WHO)はむしろ奨励していた。そして、使用禁止の対応を取っているのは日本だけだった。
井上社長は自ら実験をし、ハンドドライヤーが感染拡大につながる可能性は「極めて小さい」ことを明らかにし、インターネット上で公開した。
「科学的に安全と分かれば、世間は必ず理解してくれるはず」。井上社長はそう信じていたが、業界団体の大半はガイドラインを変えようとしなかった。
国が「ハンドドライヤーは使用できる」との見解を公表したのは22年10月。遅ればせながら、科学的見地に沿ってガイドラインの改定を促した。
ただ、それでも依然としてハンドドライヤーに「使用禁止」の紙が張られたままのトイレは多かった。すべての張り紙が外されるのは、コロナの感染症法上の位置付けが「5類」となる23年5月以降のことだ。
井上社長は一時、国を訴えることも検討したという。
「一度でも『悪』とみなされると、巻き返しはできない。結局、科学的に正しいかどうかは関係ないんです」
会社の売り上げは、現在もコロナ前の4割ほどに過ぎない。【川上晃弘】