自公与党は総選挙で惨敗し、15年ぶりに衆院で過半数(233議席)を割り込んだ。石破茂首相は自ら設定した「自公で過半数」の勝敗ラインを18議席も下回ったのに、投開票日の夜に早々と続投を宣言した。
非公認や無所属の候補をかき集めても過半数を回復できない大惨敗である。いったい「勝敗ライン」とは何だったのか。それを達成できなければ「敗北」を認めて「辞任」する線引きではないのか。そんなものはなかったかのようにやり過ごす姿勢は、あまりに醜い。
首相に就任したとたん、9月の自民党総裁選で訴えた主張を次々に覆した。衆院解散の時期も、金利の引き上げも、裏金議員の公認問題も、あっけなく前言を翻したのだ。石破首相の言葉の軽さを象徴する総仕上げが「勝敗ライン」の棚上げである。なりふり構わぬ「居座り」だ。
石破首相は安倍晋三元首相に疎まれ、干し上げられた。無役の非主流派暮らしが10年続き、この間に石破派も消滅した。それでも世論調査の「次の首相」でトップを走り続けてきたのは、「党内野党」の立場から正論を吐いてきたからだ。石破首相なら裏金問題で腐り切った自民党を浄化してくれるという期待感が、支持政党の垣根を越えて広がっていた。
石破首相はそれを見事に裏切った。裏金議員の大半を公認し、世論の期待は一気に萎んだ。総選挙最終盤、非公認とした者たちにも「裏公認料」として2000万円を支給していたことが発覚し、落胆は憤怒へ変わった。
この総理は信用できない――。自公惨敗の要因は、裏金問題に加え、石破首相がブレまくったことだろう。この先、石破首相が何を訴えても、コロコロまた変わるかもしれない。こねくり回した言葉の羅列がむなしく響くだけだ。「党内野党」として正論を吐いてきたのは仮の姿、実は権力欲を覆い隠していたとしか思えない豹変ぶりである。
読売新聞の世論調査によると、内閣支持率は解散目前の51%から総選挙直後は34%へ急落した。新内閣誕生のご祝儀相場は瞬く間に吹き飛んだ。この選挙戦を通じて石破首相が坂道を転がり落ちるように国民の信頼を失ったことは一目瞭然である。
9月の総裁選で首相を交代させ、裏金問題で悪化したイメージを刷新し、ただちに衆院解散を断行して総選挙を乗り切るという自民党の政権延命戦略は、完全に失敗に終わった。
石破首相退陣と自公政権崩壊の危機を救ったのは、野党だった。自公は過半数を割ったのに、野党連立政権は誕生せず、政権交代は実現しなかったのである。
総選挙後の特別国会で行われる首相指名選挙で野党が結束し、野党第一党である立憲民主党の野田佳彦代表に投票すれば、野田代表を首相に担ぐ野党連立政権が誕生する。野党各党が第一回投票で自らの党首に投票しても、石破首相も野田代表も過半数に届かず、決選投票に持ち込まれる。そこで野党が結束して野田代表に投票すれば、自公政権は倒れるはずだった。
しかし現実はそう進まなかった。総選挙で躍進した国民民主党も、総選挙で敗北した日本維新の会も、首相指名選挙で石破首相には投票しないものの、野田代表にも投票しない姿勢を早々に打ち出したのだ(決選投票でも自らの党首に投票して無効票となる見通し)。
これにより、首相指名選挙は石破首相と野田代表が決選投票に進み、石破首相が過半数を獲得できないものの野田代表を上回って勝利し、「少数与党政権」として続投する方向が固まった。
立憲支持層には「国民民主党が野田代表に投票しないのは、政権交代を期待して自公を惨敗させた総選挙の結果を裏切るものだ」という声がある。私の見解は異なる。自公が過半数を割りながら、政権交代を実現させることができなかった最大の責任は、野党第一党の立憲民主党にある。
野田代表は総選挙の「目標」として、①自公を過半数割れに追い込む、②立憲が比較第一党になる(自民の議席を上回る)――を挙げ、その結果として「政権交代を実現させる」と訴えた。「勝敗ライン」という言葉は避けたが、この「目標」こそ、事実上の「勝敗ライン」と捉えてよい。
なぜ「政権交代が目標」と明快に言わなかったのかというと、立憲が単独過半数を獲得する可能性がほとんどなかったからだ。
立憲公認候補は10月9日の解散時点で209人だった。全員が当選しても単独過半数に届かない。公示日目前に駆け込みで比例単独候補29人を公認し「衆院過半数の233を超え、単独でも政権を担える」(大串博志選対委員長)体裁を取り繕ったが、単独過半数を狙う陣容にはほど遠かった。
野田代表は総選挙で「政権交代こそ最大の政治改革」と訴えた。現実には立憲の単独政権誕生の可能性はなかった。それでも「政権交代」を訴える以上、野党連立政権を想定して周到に準備を進めるべきだった。
それが野党第一党の責任だ。具体的には、①自公を過半数割れに追い込む、②立憲が比較第一党になる、③首相指名選挙で野党が結束して野田代表に投票する――というシナリオを野党各党と共有しておく必要があったのだ。
ところが野田代表は総選挙前、自公が過半数を割った場合の首相指名選挙を見据えて「野党の連帯」を強める動きを見せなかった。
野党が乱立する選挙区を他の野党に譲ることもなく、他の野党の主張を受け入れ共通公約をつくることもせず、とにかく立憲の議席を増やすことだけを追求し、他の野党の反感を買っていたのである。野党第一党として野党陣営を束ね、首相指名選挙で自公に勝つ「地ならし」を全く行っていなかったのだ。不退転の決意で政権交代を実現させるつもりだったとは私には到底思えない。
立憲は前回総選挙で惨敗し、解散前は98議席にとどまっていた。野党第一党としては少なすぎる。自民党に裏金問題の大逆風が吹き付けるなか、誰が代表を務めても立憲が議席を伸ばすのは当たり前だった。
今回の総選挙でいきなり政権交代は無理だ、まずは立憲の議席を少しでも上積みして野党第一党の立場を確立しよう、立憲が議席を大きく伸ばせばマスコミは「躍進」と報じて代表の座は安泰だ――。野田代表の腹づもりはそんなところだったのではないか。
だからこそ他の野党に譲歩せず「立憲ファースト」を押し通したのである。「政権交代の千載一遇のチャンス」という野田代表の言葉は、政権交代の機運を高めて立憲の議席を増やすための方便だったとしか思えない。自民党が裏金問題で自滅した「政権交代の千載一遇のチャンス」を、もっぱら「立憲の議席増」のために費消してしまったのである。
野党各党は共闘体制を築けず、相互の信頼関係もないまま、乱戦模様で総選挙に突入した。野田代表は選挙戦で自民党の裏金批判に徹し、政権交代が実現した後の野党連立政権の具体像については何も語らなかった。
それでも立憲が自民党を抜いて比較第一党になれば、立憲中心の野党連立政権を誕生させる機運が高まったかもしれない。けれども立憲は50議席伸ばし148議席を獲得したものの、惨敗した自民党の191議席に遠く及ばなかった。
立憲が50議席を増やしたのは、小選挙区で自民候補を落選させるため、立憲支持でなくても立憲候補に投票した有権者が多かったからだ。その多くは比例代表では立憲に投票せず、国民民主党やれいわ新選組に投じた。
立憲の比例票は1156万票で、惨敗した前回総選挙から7万票しか増えていない。「自民も立憲もイヤ」という二大政党への拒否感が、国民(比例617万票、獲得議席は4倍の28)とれいわ(比例380万票、獲得議席は3倍の9)の大躍進を生んだのだ。
こうした経緯を振り返ると、自公の過半数割れが実現した時、野田代表を首相に担ぐ野党連立政権の機運が高まらなかったのは、必然の帰結といえる。国民やれいわは自公だけではなく、立憲とも激しく戦った。野党陣営の戦線は最初から崩壊していた。
自民党が公明党とタッグを組んで候補者を一本化したのと対照的に、立憲は野党各党を束ねて政権交代を狙う野党第一党の責任をハナから放棄していた。自公過半数割れが実現しても、野党連立政権の機運が高まるはずがない。
野田代表では首相指名選挙に勝つ見込みがないため、立憲民主党内では1993年の総選挙後に野党第4党の日本新党の細川護熙氏を首相に担いで連立政権を発足させたことにならって、国民民主党の玉木雄一郎代表を首相候補として野党全体で担ぐ奇策もささやかれるが、人一倍プライドが高い野田代表が応じる可能性はないと諦めムードが漂っている。
総選挙は「政権選択の選挙」である。与党第一党の自民党総裁と、野党第一党の立憲民主党代表のどちらを首相にするかを有権者が選ぶ選挙といってよい。ところが選挙区では野党候補が乱立し、共通公約もなく、野党連立政権のイメージはまったく見えなかった。立憲はそもそも「政権選択の選挙」に持ち込むことすらできなかった。ある意味で「不戦敗」である。
自民党が万年与党、社会党が万年野党だった中選挙区時代、総選挙は「政権選択の選挙」ではなく、社会党の勝ち負けは「議席の増減」で認定された。二大政党が政権を競い合う小選挙区制が導入され、野党第一党の目的は「議席増」から「政権交代」へ変わった。ところがマスコミは中選挙区時代の発想から抜け出せず、野党第一党が議席を増やせば「躍進」と報じた。その報道姿勢が野党を甘やかせた。
野田代表も今回の総選挙で、政権交代を実現させなくても議席を伸ばせばマスコミに「躍進」と評価されると見越していたに違いない。だからこそ、立憲の議席増を最優先し、他の野党との信頼醸成・連帯強化を怠ったのである。
野党第一党はいくら議席を増やしても、政権交代を実現できなければ「敗北」である。それが二大政党制の鉄則だ。野田代表は引責辞任すべきであると私は考えている。政治報道がそのような判断基準に脱皮しない限り、野党はいつまでたっても強くならない。事実上の勝敗ラインである「比較第一党」に届かず「政権交代」を果たせなかったのに、野田代表が居座るのなら、自ら設定した「自公過半数」の勝敗ラインを棚上げした石破首相と同じ穴の狢だ。
自公が過半数を割り、政権交代も実現しない情勢で、政界の主役に躍り出たのが国民民主党である。野党第二党の日本維新の会が総選挙敗北で代表辞任論が噴出し混乱するのを横目に、政界のキャスティングボートを独り占めした格好だ。
少数与党政権は極めて脆弱である。内閣不信任案がいつ可決されてもおかしくない。予算案や法律案も与党だけでは成立させられない。石破政権は当面の連携先として国民民主党にターゲットを絞り、与党陣営に引き込むことを目指す。
国民の玉木代表は自公連立入りを否定する一方、個別政策の協議には是々非々で応じる方針だ。連立入りすれば裏金問題を批判して国民に投票した有権者を裏切ることになり、来夏の参院選でしっぺ返しを喰らう。自公に取り込まれないように距離を保ちながら、過半数割れの弱みにつけこんで、ガソリン税減税など個別政策で大幅譲歩を勝ち取る戦略だ。
自公与党は当面、国民民主党の主張を次々に受け入れながら政権運営を続けていくほかない。けれども過半数割れの状況が続けば、国民が反旗を翻した時点で政権は立ち往生してしまう。どこかで過半数を回復して安定政権を取り戻したい。
過半数回復策は二つしかない。ひとつは連立の枠組み拡大だ。国民が連立入りに応じてくれれば、すぐに過半数を取り戻せる。国民がハードルをあげれば、維新と交渉することも可能だ。立憲と大連立を目指す選択肢もある。しかし、どの党も来夏の参院選までは連立入りに慎重だろう。
もうひとつの選択肢は、来夏の参院選にあわせて衆参ダブル選挙に打って出ることだ。総選挙は終わったばかりだが、自公過半数を取り戻す手っ取り早い強硬策である。もちろん、不人気の石破政権ではダブル選挙は戦えない。来春の予算成立後に再び首相を交代させ、新しい政権で支持率を回復して衆参ダブル選挙を探るシナリオだ。
衆参ダブルでなくても、来夏の参院選は石破政権では戦えないという空気が自民党内には広がっている。来春の予算成立まで、国民民主党に譲歩を重ねるしかない厳しい状況は石破政権に委ね、予算成立のタイミングで「石破おろし」が吹き荒れる展開がもっとも有力だ。石破政権の余命は長くて半年ではないか。
石破首相の政権基盤は極めて弱く、いつ倒れてもおかしくはない。自公は過半数を割っている。自民党内も最大派閥だった安倍派は大量落選して「石破おろし」にただちに動く気配はないものの、第二派閥だった麻生派や第三派閥だった茂木派は非主流派に転じ、石破政権を支える機運は乏しい。
石破首相は、少数与党を逆手に取って「国民民主党の主張を受け入れなければ、自公政権そのものが崩壊する」と訴え、党内の不満を抑え込んでいくしかない。国民民主党に命運を握られた政権運営が続く。
国民民主党はそれを見越し、年末の予算編成・税制改正で「103万円の壁」撤廃とガソリン税減税だけは何としても受け入れさせたい意向だ。政策活動費の廃止や旧文通費の全面公開を盛り込んだ政治資金規正法の再改正も年内に実現するよう求めていく。
総選挙で訴えた公約を次々に実現させ、成果を出し続けない限り、自公接近に対する批判が高まりかねない。自公政権の延命に手を貸す補完勢力に成り下がれば、来夏の参院選で惨敗するだろう。来春の予算成立後に、総選挙の公約に掲げた消費税減税を要求して決裂し、参院選では再び自公批判に転じるのが最もしたたかな戦略だ。
国民に不人気の石破首相も野田代表も居座った。少数与党政権で日本の政治は混迷し、来夏の参院選に向けて、二大政党への拒否感はますます高まるだろう。政界の主役に躍り出た国民民主党に加え、日本維新の会やれいわ新選組、共産党、さらには参政党や日本保守党も巻き込んだ政界の多極化が加速していくのではないか。
日本政界は乱世に突入した。総選挙は「ゴール」ではなく、政界激動の「はじまり」である。
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(ジャーナリスト 鮫島 浩)