火災で死去の国際政治学者・猪口孝さん、綿毛のように世界に発信「私はタンポポになる」

東京都文京区小石川のマンション火災で死亡が確認された東京大名誉教授、猪口孝さん(80)は、国際政治学で多くの業績を残した。妻の猪口邦子元少子化担当相(72)とは上智大助教授のときに知り合った学問の友でもある。タンポポのように深く根を張り、綿毛として情報を世界に飛ばすのが信条だった。
岩波文庫を原語で読んだ学生時代
孝さんは昭和19年、新潟市生まれ。東大卒業後、マサチューセッツ工科大で政治学博士号を取得した。上智大助教授、東大教授、国連大学上級副学長、中央大教授を経て平成21年から29年まで故郷で新潟県立大学長を務めた。「国際政治経済の構図」でサントリー学芸賞。共著の「『族議員の研究』-自民党政権を牛耳る主役たち」も評判を呼んだ。
平成20年9月22日付の産経新聞読書面で、東大生時代の勉強をこう振り返っている。
《そのころ、岩波文庫の哲学や社会科学を全部読む、しかも原語で読むというドンキホーテ的プロジェクトを立てたのだ。原語で読むといっても翻訳がなければわかるはずもない。英語を除いてみたことも聞いたこともない原語ですぐ読めるはずがない。でも大まじめで英独仏露中の学習を同時に開始し、読み進んだのであった。そのなかで早い時期に遭遇したのが、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』だった。
知的廉直というのはこういうことをいうのか、と感心し、少しずつ一生のコースをきめはじめたのだ。ドイツ語で読もうとすると、5時間かけても1ページも終わらなかった。でもそれは気にならなかった》
新婚時代の下宿「学問の殿堂」
昭和51年、上智大の大学院生だった邦子さんと結婚した。教授の紹介だった。そのときのことを邦子さんは平成19年に出版した自叙伝「くにこism」でこう振り返っている。
《まだまともにデートもしたことがないというのに、孝はある日一緒にお茶を飲もうと喫茶店に誘うと、「結婚してほしい」とプロポーズしてきた。直球だった。なんと率直な人なのだろう。古風な親に育てられていた私もなぜか「はい」と即答して、結婚は決まりとなった》
孝さんの下宿に邦子さんが引っ越し、新婚生活が始まった。
《狭い1DKはまるで学問の殿堂のようだとけなげにも思っていた。それは本当に不思議としかいいようがないが、若いということはそういうことなのだ。貧しくとも、2人は若く、学問の先端に挑んでいる。外から見たらなんてことないけれど、なかに住んでいる人にとってはそこは殿堂なのだった》
だが1カ月後に邦子さんは米エール大への留学に単身で旅立つ。学者同士、そして妻の政界進出という生活はすれ違いもあったが、双子の娘に恵まれるなど幸せな暮らしを送っていた。
孝さんは平成21年、「タンポポな生き方」という若者向けの本を出した。日本語で約100冊、英語で約50冊の学術書を書いたという孝さんは、こうつづった。
《フランスの哲学者デカルトは『我思う、故に我あり』と言った。私はこれを改訂して、『我著(あらわ)す、故に我あり』をモットーとしている。書くことで大地に根を張り、そのメッセージを世界に発信することで、私もタンポポになるのである》
(渡辺浩)

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