今年、2025年は昭和100年の年である。
この間、時代は昭和から平成、令和へと移り変わった。
そこで、昭和が始まった1926年からの100年間を振り返り、政界を牽引した歴代の内閣総理大臣のなかから、在職日数ベスト10をピックアップしてみた。
こうしてみると、長期政権を維持するには、総理大臣には就任の巡り合わせをめぐる運も多分に作用していることがわかる。
石破内閣の船出は、これ以上になく厳しかったが……。
大正天皇の死で「昭和」が始まったのは、1926年12月25日のことである。
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時の内閣総理大臣は若槻礼次郎。以来、現在の石破茂まで51人が内閣総理大臣を務めた。その平均在職日数は721日である(前総理の岸田文雄までを集計)。
では、在職日数が長かった総理は誰だろうか。
ベスト10で紹介しながら、昭和・平成・令和の100年を振り返る。
10位から順に見ていこう。
戦前・戦中に通算1000日以上在職した2人
10位 東条英機〔1009日〕
9位 近衛文麿〔1035日〕
在職日数の9、10位は、戦前の総理が並んだ。
貴族院議員出身の近衛文麿は、国民的人気を背景に戦前に総理の座に就きながら、日中戦争の拡大にも、日米開戦阻止にも有効な手を打てずに政権を投げ出した。
ヒトラー、ムッソリーニの全盛期に、近衛は親ファシズム的なキャラクターを売りに、「大東亜共栄圏」の確立を図るための「新体制運動」を推進、開戦時の東条内閣の商工大臣・岸信介も、同時代の革新官僚の一人として満州国の構築に携わった。
昭和15(1940)年に近衛が大政翼賛会を作り、大正デモクラシーの遺産を食い潰すように、憲政史上はじめて「無政党時代」に突き進もうとしたとき、昭和天皇は「まるで、むかしの幕府ができるようなものではないか」と警告したらしい(山本七平『昭和天皇の研究』参照)。
その近衛のあとをうけて総理になったのが、近衛内閣の陸軍大臣・東条英機である。
腰の低い東条英機は、ある時期まで昭和天皇のお気に入りだったらしいが、国民的人気はなかった。
戦時中、「米機撃滅」のスローガンは掲げられても、「英機撃滅」はタブー(不敬罪)という暗黙の国民的了解があったくらいだ。
東条は在任中、首相兼陸相兼参謀総長だったが、参謀本部に出向くときのみ参謀肩章を付け、自分なりにけじめをつけていたらしい。
軍人が総理大臣になった時代