消防団員ら43人の死者・行方不明者を出した長崎県の雲仙・普賢岳大火砕流から34年となった3日、被災地の島原市は朝から鎮魂の祈りに包まれた。大火砕流が発生した午後4時8分には、防災行政無線からサイレンが鳴らされ、遺族や市民らが祈りをささげる。
被災者が集団移転した島原市仁田町の仁田団地に建つ「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」には、午前8時半から古川隆三郎市長や市職員ら約70人が訪れ、菊の花を手向けて犠牲者を悼んだ。
災害発生時に消防団員だった古川市長は「この地を愛していた消防団員の仲間12人を失った。能登半島地震など日本各地で災害が頻発している。災害に強いまちづくりを進め、子供たちに災害の教訓を伝えていく必要がある」と話した。
警戒中に殉職した消防団員12人の名前が刻まれた島原市平成町の「消防殉職者慰霊碑」では、遺族や消防団員が献花し、故人をしのんだ。【松尾雅也、添谷尚希】