1月8日は戦前、「陸軍始(はじめ)」と呼ばれる日本陸軍の仕事始めの日だった。
戦後80年となる2025年のその日の朝、東京・九段の靖国神社に紫紺色の制服に身を包んだ陸上自衛隊の幹部たちが続々と集った。徒歩でやって来る者もいれば、ミニバンやセダンで乗り付ける者もいる。
彼らが向かう先は拝殿につながる参集殿だった。その2時間前に机や椅子を手際よく並べていたスーツ姿の男性たちが出迎える。
受付には「陸士・陸幼」や「元自会員」などと書かれた張り紙。そして、立て看板にはこうあった。
「令和七年 陸修偕行社 賀詞交換会」
陸修偕行社(りくしゅうかいこうしゃ)として初めて執り行う賀詞交換会で、陸自幹部たちも招待されていた。
24年1月には陸自幹部たちによる靖国への集団参拝が波紋を呼んだ。1年後のこの日、顔見知りの幹部の一人は記者と目が合うなり、声をかけてきた。
「個人で玉串を納めて参拝する。皆、個人の立場なので誰が参拝するのか私も知らないんだよ」
「個人」を強調するその幹部の周囲に立つ制服姿の4、5人が記者に警戒するような視線を向けた。
陸修偕行社の前身である偕行社の創設は西南戦争が勃発した1877年にまでさかのぼる。第二次世界大戦中も陸軍の現役将校の親睦組織として機能した。
敗戦とともに解散したものの戦後に各界で職に就いた元将校らによって1957年に復活。仲間たちの慰霊のため靖国に参拝し、戦争の時代を生き抜いた者同士で旧交を温めてきた。
最盛期の92年には1万8715人の会員を誇った。しかし、高齢化に伴い減少し、00年代から陸自OBを会員に取り込むようになった。
そして24年4月、陸自幹部OBでつくる陸修会と合体し、名前を陸修偕行社に変えた。会員2530人の6割超を陸自幹部OBが占める。
靖国神社は戦前、軍国主義を支える国家神道の中核だった。1978年には極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪になったA級戦犯が合祀(ごうし)された。
日本政府はこれまで「旧軍と新憲法下の自衛隊は全く違う」「連続していない」と説明してきた。
陸自トップの陸上幕僚長を務め、陸修偕行社の初代理事長に就いた火箱芳文氏(74)は取材に「国を守るという同じ任務を持つ旧軍と自衛隊は連続性がある」として、強い口調でこう言った。
「旧軍人は靖国にまつられる名誉や勲章があったが今は何もない。自衛隊はただの便利屋ではない。有事になれば何万人も犠牲者が出る。国家の追悼施設として靖国にまつられることが最高の名誉になるのではないか」【松浦吉剛、宮城裕也、千脇康平】